あなたの恋が上手くいかない理由は?

恋愛とは自分にどれだけ価値があるのかを確かめる行為である。

  • 素敵な人に認められれば、そんな自分に誇りを持て
  • 言葉でさんざん讃えられれば、凹んでいた自己像が回復し
  • たくさんの人に求愛されれば、自分の良さの普遍性を実感できる。

あなたが恋をする相手は、私をよい人間だと思わせてくれる存在。言葉をかけてもらえると、醜かった自分が白鳥のように美しく変身できるのを感じられる。

恋は「自分は欠点だらけのいけ好かない人だ」という認識を改めるのに役立つ。

恋が上手くいかない人の特徴

それでもせっかく手にした恋を温めることなく手放す人がいる。彼らにとって、恋人は自分の「内の人」。己の価値は「外の人」にどれだけ評価されるかにかかっているので、「内の人」がどれだけ讃えてくれたってちっとも嬉しくない。だから彼らは、恋から恋へとひたすら移動を重ねる。

そうやって多くの恋をする人は、見た目のきらびやかさに反して、自分をよくない人間だと思っている。誰かの力を借りて大したことない自分を少しでもまっとうな人間にしようとするので、相手に期待するハードルが低い。ちょっと気の利いた「自分をよい人間だと思わせてくれる」フレーズを言える人であれば誰でもOKだ。

では反対に、恋をしたことのない人は、どうだろう。彼らははなから、「自分はよい人間になれる」ことを諦めている。誰かの力を借りて、よりよき自分になるより、このまま無難に逃げ切りたいと思っている。だからどんなに気の利いたフレーズを言われたとて、「フッ、キザヤロウが」と切って捨てる。

実は恋多き者も恋心なき者も、自分に向き合う力が弱い。その弱さを他人の傘でなんとかしようとしたり、関わらないことで目を向けなくて済むようにしたり、逃げ腰姿勢。なので何年経っても、精神的な自立ができない。

そういう人は恋に失敗する。
確かに我々は皆、心細い、誰かに支えて欲しいと思っている。だからといって、他者に「自分にどれだけの価値があるか」を証明してもらうことはできない。たとえ一過的に証明してもらえたとしても、間髪入れずピンチが訪れ、悩む。
そのときまた人を頼り、そしてまた次も…と、延々人を頼るのは、恋ではなく依存。

恋の持つパラドックス

恋とは自分にどれだけ価値があるのかを確かめる行為であるにも関わらず、確かめようとすると、恋は依存に変わる。
では、まともな恋はどのように生まれるのか?

それは、自分にどれだけ価値があるか自らの力で見つけ出すことのできる人々が、ほんの少し足りない部分を他者の力を借りて補っていく、ときにのみ生まれる。

恋を求める人ほど、恋が上手くいかないのは、「自分にどれだけの価値があるか自らの力で見つけ出せ」ないから。出会いがないとか、容姿や社会ステータスがイマイチだからとか、「自らの力で価値を見つけ出す」前に、周りに責任をなすりつけている。

自らの力で価値を見つけだせる人はかっこいい。うぬぼれではなく、率直さで、自分の出来ることと出来ないことを見分けている様には、修行僧のような厳然性がある。

備考

私たちは生きている限り、「自分にはなんたる価値があるか」という悩みから離れることはできない。だから恋に興味を持つ。ただ、あまりに達観しすぎると、恋の本質が見えすぎて、ほとんどの人が同じに思えてくる。そしてたまに出会うすごい人は心から尊敬をしてしまい、恋からは遠のいてしまう。

徳のある僧侶が恋をしないのは、そういうところまで悟ったからかな、と思わなくもない。