誰かに愛されないとACは治らないのか?

私のクライアントさんから、「自分を受け入れてくれる存在が見当たらない」というご相談を受けたので、考えてみました。
愛してくれる人がいない、ひとりぽっちで味方なんて見つかりそうもない、という人、必見です。

ー愛するためには、愛される体験が必要ー

そうですね。愛でいっぱいになるから、余った愛を分け与えることができる。
でも我々ACはそもそも愛を与えらた経験に乏しい。大人になってから求めても、なかなか手に入らない。

だったら愛を諦めなくてはいけないのでしょうか?
一生、愛への渇望を抱えていかなければならないのでしょうか?

そうは思いません。
人に愛してもらうことは難しくても、それ以外のものから愛してもらうことはできる。

植物を育てたり、ペットを飼ったり。
小さな体験を通して、愛をもらうことはできます。

私がそれに気づいたのは、みなさんと同じ「誰も私を愛してくれない」に囚われていたときでした。

愛してくれる存在に目覚めた体験

今から15年近く前のことです。ご近所にかわいい犬を飼っているお宅がありました。
その飼い主さんと一緒にワンコのお散歩に行った帰りです。
家に着くとリードのヒモを外します。そのとき飼い主さんが犬に「ちぃちゃん、散歩につきあってくれて、ありがとうね」と言うのです。

違和感を覚えました。
飼い主が散歩に連れて行ったのに、なぜ犬が散歩につきあってくれたことになってる? と。
でもお散歩する度、飼い主さんが「いつもちぃちゃん、ありがとう」というので、その内ちぃちゃんが我々を連れて行ってくれてる気になりました。

たしかに、ちぃちゃんのお陰で、空を見たり、空き地に入ったり、いつもと違う体験が出来ている。見方一つ変えると、私たちはちぃちゃんに見守られてて、ちぃちゃんに遊んでもらっていたのです。

それが分かったとき、”当たり前の見方(人間が犬を散歩している)が自分を寂しくしているのだ”と気づきました。

見方を変えれば寂しくなくなる!

だからひとりぽっちだと思うなら、見方を変えることです。生きてるもの、動物・植物なんでもいい、それが自分にほほえみかけてくれている・見守ってくれていると思うだけで、寂しさが薄らぎます。「私の方を向いてくれて、ありがとう」と言葉にすると、満たされます。
それに加えて、温かい言葉にあふれた本を読む、ドラマを見る。そうすれば、切羽詰まった孤立感から解放されます。

愛は必ずしも人から与えられる必要はないのです。