正月特番「相棒」を見て、アイデンティティーとは何かを考える

2018年になりました。
今年も「心の流れBlog」とKOMAをよろしくお願いします。

さて、1/1の夜9時から放送された「相棒」。毎年楽しみにしています。今回の事件は少年3人が遊び心で警察のサーバーをハッキングして重要なデータを見てしまったことがきっかけで起こります。

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物語が進み、少年3人の内の一番しっかり者の喬樹(たかき)くんが、黒幕を拳銃で撃とうとして阻止され、事件は終わりを迎える。その時杉下右京が喬樹に掛けた言葉。

「僕は君に正義と公正さを望み、それを実現しようと努力する側の人間であって欲しいと願っています。そして『君はそうなれる』と僕は信じています」

牢に入れられた喬樹は言われた言葉を思い出し、天を仰ぐ。
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このシーンを見て、視聴者は「喬樹はきっと更生する」、そう思ったのではないでしょうか。

私たちは「誰かがそう思ってくれる、信じてくれている」と思うから、そのような人になろうと努め、邁進していけるのです。
では、あなたの親はあなたをどう思ってくれていたのでしょうか?

親が私に思っていたことの数々

私の母親は、いわゆる毒になる親に分類されます。そんな母親は私に以下のようなことを思っていました。

・この子は注意力散漫でダメな子
・この子は世間知らずでお母さんに恥ずかしい思いをさせそうだから、あれやこれやと教えてやろう
・この子は私の愚痴を聞いてくれるから、優しい
・子供はお母さんの宝だから、裏切るなんて許さない
・子供は親と価値観が同じで当然

これを見て、お気づきでしょうか。
杉下が、喬樹を「信じた」のに対し、母親は、私を「疑った」。そして「母親の便利なツールであれ」と願った。

私は、母親の前で「人」ではなく「モノ」だったのです。敢えて名付けるなら、「人間精神安定剤」。母親の「不安を払拭する」薬としての役割を押しつけられていました。

私の中の無いものねだり

薬としてのみ役立つとされた私は、薬としての効果を高めて、もっと役に立とうとしました。だから問題をおこさず、学歴を積み、母親にいい思いをさせてやりました。代わりに心は死に、自分がやりたいことを見失ってしまった。

そして、ある日、逃げた。

これ以上、役に立つのが辛かったのです。私にも生きる場所が要る。それは誰かに使われるところじゃなく、居ていいと思えるところ。でも実際、そんな場所はありませんでした。ありのままの私を受け止めてくれる人、そんな人居ないんです。

口では「ここに居てくれるといいんだ」という人はいました。でも信じられなかったし、実際信じるに足る人もいませんでした。私は「ありのままを受け止めて欲しい」願望と、現実には居ない苦しさで、押しつぶされそうになりました。

親は子のアイデンティティーを守れ

そんな苦しさをもたらす根源は、母親から植え付けられた思い、すなわちアイデンティティーです。

「相棒」では、「君はそうなれる」と信じてくれる人の存在が少年を更生の道へと歩ませました。一方「私の人生」では、「あなたはロクな存在じゃない」という疑いが私を苦しみの世界へと突き落としました。

ー私はどういう存在かー

とらえ方次第で、才能が花開いたり、私のように閉じてしまったりする。だから、親は「子供をなんと見ているか」に慎重にならなくてはいけないと思います。

子供が泣いているとき、「なんで泣くの!」と厄介者あつかいしていないでしょうか?「この子には伝えたいことがある。けど言葉に出来ないんだ」と見てやっているでしょうか。親の見方次第で、子供のアイデンティティーはすいぶんと変わります。

どうかお子様に「僕はここに居ていいんだ!」という感覚を持たせてあげてください。