子を持つということは子を失うことであるかもしれない

子供を持つことは、幸せなことだと一般的には思われている。

子供の存在は自分に生きる意味を与えてくれ、頑張る力を与えてくれる。

けど子を持つことで受け入れなければならない運命もまた、存在するのだ。

私が遭遇した事件

今から20年以上前、私が思いを寄せていた人が事故で亡くなった。18歳だった。一方通行を逆走した車にバイクごと跳ねられた。死因は内臓破裂。だれもが想像しえない急な出来事だった。

その人の母親は年の頃40中頃だろうか。子供は亡くなった息子と3歳下の娘の二人。大学に入り、やっと手の離れた息子にやれやれと思っていた矢先のことに違いない。自宅から大学に通っていた彼は、頻繁に外泊していたので、お線香をあげにいったとき、「今でも帰ってくるんじゃないかと思う」と力ない声でつぶやいた。

元気に大学へ通っていた息子が、こんなに早くこの世を去ってしまうことなど思いもしなかっただろう。
でも、これが現実である。彼女が18年間、大切に育てた命が、22歳の自動車免許とりたてのオンナに奪われてしまった。

母親へのメッセージ

私は今でも、そのオンナが憎い。世界のどこかでのうのうと、結婚し、子を産み、暮らしている。彼のすべてを奪い、彼の輝かしい未来をメチャメチャにし、もう二度とあの笑顔を見られなくしたオンナが憎い。

でも、家族はその比ではなかろう。会いたくて会いたくて仕方がないのに、どんなに願ってももうそこに彼はいない。アルバムの写真は増えない。成人式も、就職も、結婚式も、すべてが消え去った。描いていた未来が消え去った。

だがもしその母親が彼を子として宿さなければ、この世に送り出さなければ、彼が与えた喜びを手に出来ぬ代わりに、死ぬまで消えぬ苦しみを味わうことはなかった。子を持ったからこそ、子を失うという事態に遭遇してしまった。

これが子を持つ残酷さなのかもしれない。

世の中には、子供が傷つけられたり、命を奪われたり、悲しい出来事が絶えず起こり続けている。そういう出来事に一人も出逢うことなく、成長して欲しいと願うばかりだ。

そして、世の中のお母さん。子を失うことなど想像したくないかもしれないが、そういうことはある。子を持つということは、自分がそこに踏み入れる可能性を持ち続けているということでもある。

だから、単に可哀想に、で片付けないで。あなたも、子を失った母親も、ともにその運命を背負って生きてるのだから。