「選ばれる女」より「魅了する女」になろうよ!

ネットに男性は”選ぶ”よりも”選ばれたい” ”選ばれる女性”から卒業する方法(LAURIER)という記事が載っていたので、これに関連して「他人主体の人生と自分主体の人生」を考えてみたいと思う。

現代においても、女性に関し、未だこのようなやりとりがある。

「嫁をもらう」
親に結婚の許しを得る場面で「○○さんを、ボクにください」
「畳と嫁は新しい方がいい」

まるで品物の様な扱いである。

婚活の場面では、若くないと価値がないかの如く扱われ、アラフォー女性は、賞味期限の切れた商品と同じくスルーされる。
このような状態が蔓延しているのは、皆の意識の問題だと思う。

特に女性。
「愛される女性」、「選ばれる女性」。
そんな相手からなにかをされることを前提に生きる女性達。
自分の人生を男性にゆだねて、幸せになろうとする。
その意識で、人生を全うできる?

確かに相手から誘いを引き出す、YESの返答をもらうには、自分を指名してもらわねばならない。
ただ、そのことだけに意識が向いて、指名される、つまり相手からどう思われるかだけに集中していると、自分がどうしたいのか?という意識が薄れる。
他人主体の人生になる。

他人主体で走り出した人生は辛い。
自分が何かを思っても、他人の思いと拮抗した場合、堂々と言えない。
堂々と言えないことが続くと、どんどんと自信が喪失していく。
”私が決めるより、他人が決めた方が正しいよね”という思考に汚染される。

心の中でこれをしたい、これはイヤだと思っていても、一度走り始めた他人主体の人生。そうそう自分主体に切り替わるもんじゃない。
よほど大きな力が加わって、自分の考えを表在化する後押しをしてくれないと。

だから最初から他人にされることを期待する人生、他人からされることで走り出す人生はないと割り切ることだ。
もし、誰かと付き合いたいなら、選ばれるという意識ではなく、魅了するという意識をもつことだ。

受験勉強と同じだ。
一生懸命努力して、努力して、努力した先に合格がある。
勉強するのは学校に選ばれる為では無く、自分がその学校で学ぶため。
自分が学びたいから、自分で知識の底上げをする。

自分がしたいことを突き詰めて、弛まぬ努力をすれば、なにもしないより何倍も成功率が上がる。
強くなれ!逞しくなれ!と言っているのではない。
控えめであっても、魅了することはできる。
いや、むしろ日本人は引く美学に優れている。

所作を美しくする、笑顔で対応する、物を大切に扱う、美しい日本語を使う。
これも充分女性を引き立たせる武器だ。
貴方には貴方だけの魅力がある。
その魅力を引き出して、自分のつきあいたい相手を魅了しよう。

時代は変わった。
女性は物ではなく、人になったのだ。
いつまでも他人主体でいることは止めて、自分を持とう。