マイノリティとマジョリティ

人のことを批判する人がいる。「常識では~じゃない?」「普通××だよね」
そう声高にいって、相手を自分の思ったとおりの善悪でぶった切ろうとする。

こういうタイプは、テレビで言っていることを鵜呑みにする。
だって、世間が言っていることこそが、正しいと思っているから。
多くの人が支持している考え==正しい は正論だろうか?

ずっと前から少数派の意見に耳を傾けることは大切と言われてきた。

前の私なら、少数派は異端なのだから、切り捨ててもよいと思ってきた。
でも泉谷先生の本に出会って、少数派(マイノリティ)こそが真実を見抜く心眼を
持ち得ていることを知った。

マイノリティは、謙虚で思慮深い。どんな世間の尺度にも縛られず、本人が都度
考え解を出していく。けして決めつけたりはしない。
それこそが生きるという行為ではないだろうか?

ドラマ「セカンドバージン」の中で、主人公るいが鈴木行と不倫をしていることを
ゴシップ雑誌に取り上げられたとき、るいの勤める社の社長が「やめるなよ。るいは
必要な人間なんだ」と繰り返し説くシーンが出てくる。
社長自身もゲイの気があり、マイノリティとして生きることを心に誓っているから
るいの不倫を世間的な尺度で測ることをしなかったのだろう。

このシーンから分かることは、世間の尺度からずれて生きるマイノリティは、
自分らしく生きることの辛さを身にしみて分かっている。
だから、他のマイノリティの生き辛さもすんなりと受け入れられるということである。
前々から私がゲイの人に心惹かれるのは、これだったのか!
ゲイは変なフィルターをかけず、素直に耳を傾けてくれそうなイメージ。
ちゃんと人間として向き合える気がする。

マイノリティが経営するバーが繁盛するのは、マイノリティ故に受けてきたバッシング
への耐性を活かして、ある程度お客からけなされても、うんうんと聞き流し、
それでいて、お客の何気ない相談に真摯に耳を傾けてくれるからだろう。

悪口をいっても怒らない、自分の相談に乗ってくれる そんな相手はマイノリティ
しかない。マイノリティは一見損な役回りに見えて、最終的に強い存在だと思う。
マジョリティに居続けようとする人ほど、自分の芯がなく、マイノリティの強さに
惹かれるものだ。

最終的に社会が成熟すれば、マイノリティが大半を占めることになるだろう。
十人十色があたりまえ。
日本はムラ社会だった。けれどグローバルの波にのまれて、全員一緒に同じ方向
へ行くという生き方は許容されなくなった。
日本以外の国は強い個性を出す人種であふれかえっており、彼らは多くの成功を
納めている。
日本もそろそろ脱皮して、マイノリティが台頭してもよいのではないでしょうか?