何を喋っていいか分からないのが当たり前

  • 自分の思ったことをいうのはNG
  • 愚痴を吐き出すのもNG
  • 噂話もNG
  • 相談事もちょっと…

となると、何を喋っていいか分からないと言葉に詰まる。

そして詰まることを、イケナイ事と思っている。

そうか?「詰まる」ということに、意味があるんじゃないか。成行に任せて話すより、「詰まって」悩みながら考える方が、ずっといい言葉が生まれるんじゃないだろうか?

耳をふさぎたい言葉と聞きたくなる言葉

「○○ちゃんが、こうでね、あーでね」とピーチクパーチクしゃべるオバサン。頭に浮かんだことをそのまんま垂れ流し。人様に出すより前に「この話題が適切かどうか」の判断がない。

聞いてる方に益のある可能性は低く、”ツマラン…”、”○○ちゃん、知らんし”、”いちいち話すほどのことか?”といった感想を抱かせる。要するに、「聞くに値しないネタ」のご披露。できればお耳をふさぎたい。

対して
「その○○とっても素敵ね。そのセンスどこで培ったの?」と語りかけてくる女性。女性の頭に思い浮かぶことはいろいろあるけど、その中でもよさそげな話題をチョイス。

聞いてる方は側は、センスを褒められたようで、”あらっ?なんだか嬉しいわ”、”私ってセンスいいのかしら♥”といった感想を抱く。そんな心地良い言葉は、「是非ともまた耳にしたいネタ」。もっともっと聞いてたい。

聞きたくなる言葉の聞きたくなる所以は?

という例を出すと、「え?褒めれば誰だって喜ぶんじゃん!」という突っ込みが入る。

でもそうではない。当人が○○を気に入っていないようであれば、”ハッ?なにディスってるの?”みたいに悪く取られる。

あくまでも当人の中の”○○を気に入っている”を見越して褒めてるから、「聞きたい」と思わせられている。

言葉は「詰まって」こそ、ナンボ

つまり当人の思いを拾って言葉に出来てるからこそ「聞きたく」させられてるのであって、褒めればいいでしょという論ではない。

そして「聞きたく」させるためには、相手の背後に立って見える景色を感じることが必要で、でもやりかたなんて知らないから、「詰まる」のは普通。むしろ「詰まらない」時点で、自分がどう思ったかという意見にすり替えてしまっている。

ということで、「詰まる」ことこそ、誠実に相手に向き合おうとしている証拠である。「詰まる」ということは少なくとも【今】考えているということであり、【この瞬間】の相手の思いを汲み取ろうとしていることである。

そんな人の側に立ち、人の立場を理解している人が放つ言葉は優しい。

勘違いを正そう

我々はつい音のする方に気を取られて、多弁な人を価値ある人としがちだ。でもじっくり耳を傾けていれば、次々に出てくる言葉の中身のなさに気がつく。

そんな多弁な者になりたいか?むしろ、話す言葉一つに心がこめられる方がよくないか?

「言葉に詰まる」ことは全然恥ずかしくない。

「しゃべり続けられることこそ正義」という価値観から、もうそろそろ距離を置いてみてはどうだろう。

言葉は数じゃない、質だ。