己が子供の時は、大人が子供を大事にするもの
恋人ができたら、恋人が私を大事にするもの
結婚したら、配偶者が私を大事にするもの
子供ができたら、子供が親(私)を大事にするもの
年をとったら、若年者は老人(私)を大事するもの
とまあ生涯を通してお客の立ち位置から動こうとしない人は、晩年邪険にされる。
まあお金さえあれば、お金を払うという立場であり続けるなら、つながりをもてるかも
しれない。ただしお金がなくなったら、さぁ~って人は引いていくけどね。
「どうして××してくれないの?」
この言葉の裏には、自分がされる側(つまりお客)でありたいという欲望が隠れている。
相手はしたくないからしないのかもしれないし、気がついていないだけかもしれない。
やらないならやらないで放っといたれや、という考えがない。あくまでも私を客として
扱えという傲慢な欲望である。
心通貨(私が命名)の受け渡しができていれば、相手は自ら返してくる。
そう、返報性のルール。
もし、返ってこないなら、自分が渡している通貨が相手の価値基準からズレているの
だろう。だとしたらいくら渡しても効果ないわな。
お金はわかりやすいよね。価値がハッキリしているから。
みんながお金をじゃんじゃん稼げて、将来サービスとしてでも会話してくれる相手や
気遣いしてくれる相手がいれば、寂しくないかもしれない。
だけど、ほとんどの人が平均的なお金しか手にできない。
だとしたら、未来自分を豊かにするためには先に心通貨を配ることだよ。
心通貨の不思議な所はお金と違って、渡せば渡すほど返ってくるし、貯まるということ。
お客という消極的立場から脱却して、もてなす側になったとき、心通貨がじゃんじゃか
貯まる。そうするうちに、人は本当に豊かな未来を手にするのだろう。