会話下手が分かっていない楽しい会話に欠かせないコツとは?

何を話せば良いか分からない、だからといってダンマリだと、存在感がないし
話したいことを話せば良いんだ!と開き直って、心の赴くまましゃべりつづけると、周りはどんより顔。

どうすればまともに、「会話」として成り立つんだろう。

楽しい会話って?

この人といると、なんだか楽しい、と思うとき、どのような会話をしているだろう?

聞いて楽しい、話して楽しい。相手の話に引き込まれ、つい笑みがこぼれたり、へぇ~と驚かされたり。そして、こちらの話に相手が笑ってくれたり、驚いてくれたり。

バランス良くギブ&テイクになってて、ラリーを続けても全然疲れない。むしろ、元気になってく。だから別れがたくて、いつまでも~を望んでしまう。

居心地のよい場所は、会話の量・質ともにちょうどいいあんばい。互いが無理せず、互いの益につながる会話が繰り広げられている。

上手な会話は口数?それとも…

ということで、口数は多くても少なくてもNG。沈黙だけも気まずいし、かといって、ダァーっと話し続けるとウ・ル・サ・イ!!

でもねぇ~質のいい会話をしてください、と言われても、ほとんどの人がフリーズしてしまうよね。「質」ってなにさって。これは質の高い会話、これは低い会話、って説明されたたことないもん。

わかんないよね、わかんない。なので試しに自分がいいなって思う会話ってどんなんだよ?を思い浮かべてみる。

  • 今日にも壊れそうな家に住んでる両親に仕送りをしていたサンシャイン池崎さん。「お金使ってよ」という息子に向けた母親のひと言「子供にもらったお金なんて使えないよ。これはアンタが結婚するときの資金として取ってあるん」
  • ドラマ「下町ロケット」で設計図を盗んだ元社員が事実を告白したときの佃社長からのひと言「正直によく言ってくれた」

相手を思いやる心に、思わず聞いてるこっちが心打たれる。

ならばキーは「相手を思いやる」だな。相手を思いやれれば、聞く側はもちろん、周囲にまでその優しさは伝播するんだな。

会話が下手な人がやってないこと

じゃあ、「相手を思いやる」が出来ればいいのか。会話が上達するのか。

思いやる、思いやる、思いやる、…、あれ?私冷たい人間だから、思いやれないんですけど。下手に思いやろうとすると、へつらった自分が出て来るんですけど。
以前の私なら、そこで思考がストップしていた。

でも今なら知っている。

思いやるというのは、相手の背後に立って、相手の目で、その景色を見つめることだって。

サンシャイン池崎母の言葉が心を打つのは、親に愛されたいという息子の背後に立って、息子の優しさに感謝するという思いやりにあふれてたから。
佃社長の言葉にジーンと来るのは、幾多の葛藤を乗り越えここにやってきた元社員の背後に立ち、ここに来るまでの怖さを我が事のように感じる思いやりがあったから。

人間誰だって自分の利益を最大にしたいし、感情に流されてぶちまけた方がラクだけど、でも目の前に大切な人がいて、その人を守りたいと思うから、その背後に立って、その人の云わんとしていることをつかみ取ろうとする。

その利己を超えた利他の精神に、我々は心揺すぶられる。

会話の上手な人は、それを分かってか分からずか当たり前のようにやってる。だが、会話の下手な人はそのような思いがさっぱり生まれない。だから無口だろうが多弁だろうが、いつまで経っても下手なまま。

こう考えてみては?

そこで会話の下手な人はこのように考えてみてはいかがだろう。

何を投げるかではなく、何を拾うか を考えよ。

投げる、すなわち何を言葉にするかばかり考えていては、どうしても自分に意識が向く。しかし「相手を思いやること」が大事なのであるから、自分【が】何かしようなどという意識はそもそも不要。大事なのは相手【が】どう思ってるか。相手の中にある思いを「拾い」、拾ったモノを元に言葉を組み立てる。そうすれば必ずや相手の胸に刺さる。

相手がどう言って欲しいか、は、相手の中にある。だったら、相手の中に拾いに行くまでだ。

会話のラリーが続く理由は2つある。
ひとつは、関心事が重なり相手の話があたかも自分の話のように感じ取れたから、もうひとつは互いが相手の思いを拾いつづけられたから、である。

相手の中に自分を見つけられたからこそ、「分かってくれてる」という温かい雰囲気に包まれ、別れがたき場となった。お互いが「思いやり」という磁石で強く引き合った結果だ。

性別問わず人と人は引き合うことで、関係を築いていく。だからこそ、人を見たらまず、投げるより拾う。そう意識してわずかでも拾えたら、引き合う力が作用する。

わかり合うためのコツとは、そういうものではないだろうか。