携帯メールってなんのためにあるんだろう?

誰かと一緒にその場にいれば、同じ体験を共有できる。
たまたま一人だったら、その体験を誰かと共有したい。
だから携帯メールに「今××を体験したよ」と書いて、あたかも知人と体験を
共有したかのように感じたい。

人間(特に女性)がこんな共有体験をしたいのはなぜ?

どこかで体験に対するフィードバックをかけて、体験を再体験したいのかな?


送られてくるメールには、こちらも「おっ!すごいねー」と驚ける物もあれば
「ふーん、そうなんだ」というものまである。
どれもびっくりするのような内容なら、送信相手は相当秀逸な人材なのだろうが
まあ、一般人(自分も含めて)の内容なので玉石混合なのが、当然だ。

携帯のメールで会話をする若者が増えたが、主たる会話の内容は体験(感情)の共有
目的なのではないだろうかと私は思っている。
ところが受け手は、別の価値観や体験をしているので、必ずしも送り手の感情が
理解できるわけじゃない。

私スゴイ体験をしたんだ、ね?スゴイでしょ?と言われると、「えーそんなことないよ」
と反論する余地がなくなってしまう。
そこまで相手にあからさまにいわれなくとも、なんとなく体験に対する同意見を求めら
れている気がする。

「孤独とは何か」を考え中の私は、ともすれば相手に体験の共有を求めてしまいそう
な自分を、別の世界へ連れて行きたい。
だれも同意してくれなくても、誰も知ってくれなくてもOKって思える自分ができたら
また一歩自立したなと感じられるから。