ありがとうを言わねばならない弊害

このブログの中で「『ありがとう』は誰のため?」という記事において、ありがとう
は、たくさん使いましょう、自分に返ってくるからと述べました。

ところがアダルトチルドレンには、必ずしもそういえないと思います。

ありがとうは、あくまでも「有ることが難しい」と感じたときに使えばいい。
なんでもかんでもありがとうといっていると、自己否定の強いアダルトチルドレンは
自分以外のものは、全て自分より尊くて、自分が一番下というふうに捉えてしまう。

つまりありがとうは、自己卑下につながるのです。

躾は、社会生活を送るために必要です。
人間は全員違う価値観で生きているから、交わるために共通の思想が必要になる。
それを学ぶのが躾です。
ところが、人と交わり自分の可能性拡げるための躾が、いつのまにか自分を窮屈に
しばり、自己卑下をもたらすものへと変質している。
それが、「人になにかしてもらったらありがとうと言いなさい」という躾の弊害なのです。

してもらった、とされた は紙一重です。
やった本人は喜ばれるだろうと思っていたとしても、受け手は迷惑だなと思うこと
が多々あります。
迷惑だと思っているときに「ありがとう」って心から言えますか?
「ありがとう」っていったとき、どんな気持ちになりますか?

私なら、「ありがとうは言いたくないなあ」が本心です。
そんなとき、「ありがとうっていわなくてもいいよっ」ていわれたら、楽です。
頭の中にある、教育的親がどっかいっちゃって、不快だって思う心と、それに
同意する頭だけが残れば、その場にあった言葉を紡ぎ出せます。

例えば「ご苦労様」とか「おかげさまで」ぐらいの控えめな表現はどうでしょうか?
これくらいなら、葛藤なく言葉にできます。

社会で関わる以上無言という訳にはいかないし、かといって、御礼を言わないのも
気が引けると言うときに、もっと別の言葉を使ってもいいんです。
自分が「有ることが難しい」ことを相手から受けたという場合にのみ、ありがとうって
使いましょう。
そうすれば、自己矛盾から解放されます。

大事なのは、自分がどう感じているかなのです。