思考のクセと手続き記憶

記憶は短期記憶と長期記憶に分かれる。
長期記憶の内、言葉で表現できる記憶を陳述記憶、そうでない記憶が非陳述記憶
である。
非陳述記憶の中で、身体が覚えている記憶を手続き記憶という。
自転車に乗れる。水泳ができる。
これらは手続き記憶であり、とくに意識しなくてもできる。

アダルトチルドレンとしてのへりくだるクセは、手続き記憶と同様、意識せず自然と
出る。

自転車に乗るには、補助輪を付けて乗って、補助輪を外して親に押してもらって、

ペダルを漕いで転んで、親に「ガンバレー」と応援してもらって、やっとできるように
なる。
水泳は、水に顔をつけることに慣れて、ビート板をもってバタ足をして、コーチに
ひっぱってもらって、息継ぎの練習をして、(以下略)できるようになる。

同じく、へりくだるクセは、親に「人に迷惑をかけるな」と躾られて
「なんでできないんだ」と怒られて、「礼儀正しくしなさい」と正されるから、身につく
のである。

スポーツを覚えるときと同じ繰り返しによって、思考のクセは定着する。

ちなみに記憶には干渉説というのがあって、ある記憶と他の記憶が干渉を起こす
ことによって記憶が失われていくらしい。
だとすれば、へりくだるクセは他の記憶と干渉させることでなくなるのではないか!
と仮説を立ててみた。

へりくだるクセに真っ向から干渉できるのは、あるがままを認められることである。
へりくだらないと認められないと思っているところへ、そのままのあなたが好きと
こられたら、どっちが正しいのか判断に混乱を来す。
その混乱を利用して、より自分が望ましい方を選択させることで、記憶の上書きを
行う。
そうすれば、自然とあるがままの自分という新しい記憶のクセを身につけ、へりくだる
人生から卒業できる。

人生でいい出会いがあると、自分の生き方が変わるのは、こういった理屈だ。

ただし、誰もがよき認証を与えられる存在に出会えるわけではない。
そこで認証を与えられるカウンセラーや精神療法家を探すことだ。
記憶に揺さぶりを掛けられるプロに出会えれば、お金と意気込みを掛けた分
今後の人生で取り戻せるのだから。