心で感じる

先ほどベストハウスという番組で、18歳の時に事故にあい、記憶喪失になった
坪倉優介さんという方を取り上げていた。

彼の紡ぎ出す心の声は、我々健常人が如何に言葉に支配されているのかを露呈

させる。

本当は人間は心で感じたことを言葉にしてきたのであって、言葉が心の感情を
つくるのではない。なのに日常生活で、腹が立っていても、先回りして頭がカシコク
判断するので心の状態は表に出ない。

優介さんは、概念を失ってしまったため、頭による支配がなくなってしまった。
だから目の前に起こった出来事に、心が反応する。
その先に判断が生じる。

それを示すエピソードがある。
優介さんは、自分が分からなくなって家出しようとする。それを見た母が涙を流す。
母の頬をつたう涙を見て、優介さんの心の中に「不快だ。間違ったことをしている。」
という思いが生まれる。
そして頭でお母さんを二度と泣かせないと決意する。

ちなみにこの時点で優介さんは涙という概念を持っていない。だから涙が+要素なのか
-要素なのかも分かっていない。
しかし、心は大切な人が泣いているとはどういうことなのか、正しく判断をしている。

私はこの話をを知ったときに、心のままに生きる・心を感じる ということの
底知れない力を感じた。

頭より先に心を感じることは、現代の我々にとって、ハードルの高いことかもしれない。
それでもこういった他者のエピソードを通して、確実に我々の心にわき上がる感情
があるということは、心を感じることができる可能性を十分に示している。

アダルトチルドレンは、頭が先に動く。
[あれしちゃダメ、これをすると怒られる・嫌われる]
そうではなく、かすかに自分に訴えてくる心の判断を一番大切に、扱って欲しいと
思う。

そうすれば閉じこめられた心も、いつの日か感じられるようになるよ。