心に染みいる言葉

6年前に症状を発症してから、何冊もの本を読み、幾度もカウンセリングを
受けた。
症状はまもなく消失した。ところが心がついてこない。

本には著者の言葉がたくさん並んでいて、具体性のある物もあれば、的確に

表現している物もある。
著者の言っていることはあっているのに、言葉が心に入ってこない。

泉谷閑示先生の本に出会ったとき、1回読んでもさっぱり分からなかった。
ただ数カ所思い当たる節が説明してあったのと、患者への「愛」があった。
患者だけがもつ可能性への温かいまなざしが感じられた。

だからこの本だけは本能的に今までの本となにかが違うと感じた。
何度も何度も読み返した。
そのたびに新しい発見があり、自己内対話が進んだ。

時にその対話で、涙を流す自分がいたり、空間に向かってどなりつける
自分がいた。
そうやって一人で、感情を取り戻すというプロセスを体験していた。

感情を取り戻してくると、孤独がなんなのかおぼろげながら理解できるようになり
自分の欲しい物がわかるようになる。
先日椅子を買った。その椅子のことなんてずーっと忘れていたのに、突然思い出した
のだ。
ちょっと欲しかったという程度の自覚だったのに、感情が分かるようになってから
とっても欲しかった椅子であることに気がついた。

自分自身も回復しているなと感じながらも、突き抜け感がない中で、いつものように
精神科医による心理療法を受けた。
治療を受けている間、自分には大きな変化はなかった。
心に残る言葉はあるけど、まだ闇が明けない。

家に帰って、ノートに思いつくまま書いた。
自分の思考のどこが、自分を押さえつけているんだろう。
それでもまだ分からない。

心理療法は毎回ICレコーダで録音している。
じゃあ、再生してみよう。
再生してみて、内容が濃いことに気がつく。
全部覚えていられない。
じゃあ、文章に起こそう。
一つ一つのエピソードを文章に起こしたそのとき、「あれ?これおかしくないか?」
と気がついた。
具体的には、自分ではできると判断していることを、やらない自分がいたこと。

とってもやりたい、自分でもやれると判断した、なのにやらないって、どう考えても
おかしい。
そのおかしいことを何十年もやり続けている自分。
「あーーー、ものすっごい自分へんやん!」と思ったのだ。
そして、他のエピソードを見ると、「親に怒らにゃ、アカンやん!なんで自分責めとるん」
と思った。

ずっとずっと自分を責めてきたことが、おもいきり間違いだったことにやっと気が
ついた。

きっとどの本も治療も私が気がついたことを述べていたのだと思う。
それでも、言葉は心に入っていかない。
自分で考えて、自分で泣いて、自分で苦しんで、書き殴って、叫んで、そして
やっと言葉が入ってくる。

これは、お手本はなく、いきなり実地訓練する方法でしか得られないことだと思います。
人生初の自分で主体性を持ち、考える経験です。

人生はそんなに生半可なものじゃないというのは、このような辛く苦しい経験をして
しか、言葉が心に入ってこない事実を物語っているのです。
お手軽に手にできる自立はない。

それでもこの経験は苦しんだだけの価値をもたらしてくれます。
本物の人生をもたらしてくれます。

諦めないで、苦しむことは、生きることを見せてくれる唯一の方法だと思いました。