考えるとはどういうことか

ポジティブな姿勢を持とう!
ファッション雑誌をよんで自分を研究しよう!
肯定的な表現を心がけよう!
自分磨きをしよう!

はぁ~、それは良いことだと思うけど、できましぇーん(イヤミ風に)。

雑誌を飾るこれらの言葉は、どこかしらんに白々しさと虚無性を感じる。
なぜだ?

就職活動をしたくないワケの記事で書いたように、感情->行動の順番でしか

人は動けない。
ところが前記のスローガンは感情の部分が省略されている。
心が納得していないのに、行動だけできますか?

「考える」という行為は、人間の行動するメカニズムにそって、原点から整理
していくという事だと思う。

例えば勉強しなくてはいけないという状態があって、でも勉強をしたくない自分がいる。
そのときに勉強したくない自分の発生源はどこのかを探る行為が考えるの出発点
だ。
人間はほっといても知りたいという知識欲はある。(だから赤ちゃんはなんにでも
興味を示す)
従って勉強そのものはそんなに人間の欲からかけ離れた行為ではない。
しかし気持ちが拒否反応を起こす。
拒否の原因の心当たりを探ってみたときに、親を信じていない自分がいて、その
親が「勉強しなさい」というから、その言葉に従いたくないという気持ちがあるかも
しれないし、勉強しても成績が上がらなかったらどうしようという不安から逃れたい
のかもしれない。
その人なりの拒否の原因が心にある。まずそこを丹念にさがす。

見つかったら、その原因は冷静な目で見て妥当な理由なのか考える。
大概は自分の思いこみが引き起こしているわけで、思いこみを思いこみと感じる
ことができたら、だいぶ考えられた状態といえる。
はっきりいって、原因を見つけることも難しいが、自分の思いこみを取り去る
ことは、さらに難しい。

だから一言考えるといっても、それは何年にもわたる作業かもしれない。
それでも考えている人というのは、答えを出すことができなくても、考える技術を
蓄えることで、人生に深みがでる。

思いこみを取り去った後は、ロジカルに考えればいいので、超簡単だ。

最初の2工程は苦しい。
感情が激しく揺れることもあれば、間違った方向に解を導いて自己嫌悪に陥る
こともある。

それでも人が人として生きていく上で、考えるという行為を放棄してはならない。
放棄したら生きながら死んでいる状態になる。

結論だけが書かれている文を鵜呑みにせず、自分にあった考えを持ち、それこそ
自分らしく心の感じたことをすくい上げ、問題を改善し生きていくことが大切なのだと
思います。