仕事のスタイルは人それぞれでいい

成人が昼間から、公園でくつろいでいたり近所をぶらぶらしていると、周囲の人は
「無職?リストラ?ひきこもり?」といらぬ想像をする悲しい社会。
ニートの子供に向かって、「あんたがニートだから、世間体が悪いじゃない!」と
怒鳴る頭の固い親。

なんで平日は会社に行って働いていなくてはならないのか

かくいう私も過去に猛烈働き人間で、「働かざる者生きる価値無し」と言わんがばかり

に、傍若無人に働いた。
そして病気になったとき「休養してください」と言われて、意味が理解できなかった。
「働かないと給料が得られない」「働かないと技術が磨けない」「働かないと置いてか
れる」と、頭の中はパニック。

今我を振り返ると、なんとまあ「働かなくてはいけない病」にとりつかれていたのかと
あきれてしまう。

働くという型からはずれた人生が許されないと、外れてしまった人たちは、無理くり
型に戻るか人生終わるかの2択を迫られる。
どっちもイヤだったり、不可能な場合どうすればいいんだ?
私はこの狭い選択肢(2択)こそが、型から外れた人間を生きにくくしていると思う。

どんな生き方をしたって、その人はその人。
生き方の選択も含めて、人として尊重されるべきと思う。
親は見えない世間体を前に子供の〈人としての尊重〉を踏みにじり、「どうして働かない
の?」「学校へいきなさい。」と言葉を押しつけ、型へ戻そう戻そうとする。
親は子供なりにプランがあるのかも知れないとか、今は休みたい時期なんだから
そっとしておこうという発想がない。

誰だってそうだけど、やろうと思っていたのに、「オマエになんてできない」と言われたり
「こうやれ~」と命令されたら気が滅入って、シュンとするだろう。
もう少し相手の気持ちになって考えてみれば、型にはまらないことをなじる以外に
言葉が見つかるのではないですか?

私は日本人のこの画一的考え(型にはまる考え)は、思考の硬直化と劣悪な社会を
生む原因になるのでは と危惧しています。
グローバル社会で、多様な価値基準と共に自分や自国が成長するために、思いこみ
殻を破ってみるのも一考です。