伝えるためには

自分の話したいことを、話したい順に、話している人がいる。
聞き手の理解度や、知識背景はそっちのけ。
だから聞き手は途中から聞くことをやめる。
話し手は、聞き手が理解を示さないことに腹が立ち、落胆する。

この場合、問題は話し手の方でしょう。
自分で相手を混乱させておいて、理解してくれないと嘆いていたら世話ないわな。
しかし、この手の人間は多いですぞ。

試しに自分が書いたレポートでも読み返してみると、自分の身勝手さに気がつく。
大概、「なにをいってるんだ?」という箇所が現れて、書いていた自分の独りよがり
に唖然とする。
読み手のことは、さっぱり無視しているから、そーいう文章になる。

自分のことを思い返してみると、友人とおしゃべりをしている途中に、どんどん

話したい内容が出てきて、相手も同じテンションで話してきて、ひたすら「話の割り込み」
の連続だったとき、家に帰ってみると、楽しかった以外何も覚えていないことに
驚くことがある。
これって、相手のことを聞いているようで、聞いていない。単純に相手の話をきっかけ
に私の脳のひきだしが開いて、その引き出しと友人は深く関係ないのに、ぺらぺら
しゃべり、友人も同じような振る舞いをしているから、テンションは保てても、伝わる
内容がない。

言葉は多ければ多いほど、相手に伝わるかというと、そうでもない。
少ない言葉で、相手にわかりやすく、熱意を持って伝えれば、ちゃんと伝わる。
我々は一体なんのために、言葉を交わしているのだろう。
なんか、自分が話していた言葉は、ほとんど意味がなかったんじゃないかと感じて
きた。