丁度いい加減の甘えでとどめておく

生まれたての赤ちゃんは、食べることから排泄することまで、全て親の世話になります。
3歳の子供は、見守られていないと、ボールを追いかけて道路に走っていきます。
親が子をいつも守り、気にかけていればこそ、子は安心して暮らすことが出来ます。

年を経て、小学校に通う子供は、お母さんに排泄の処理を頼るのではなく、自分で
トイレにいきます。
お友達とケンカしたら、自分で謝ります。
”自分のことは自分でする”という自立をして、親から離れていく。
しかし親が自立を寂しいと感じ、「まだまだ側で世話を焼かせてね!」などと思うから
子供の精神成長を妨げることになるのです。

世話を焼かれた子供の方だって、赤ちゃんのまま命令だけを下していたら、周りが

ピシッと聞き入れてくれる状態は、心地よくて、自立の世界に出たくなくなるでしょう。
けどそうしている内に、周りの子供達はどんどん成長していって、その子だけが3歳児
のまま停止することになると、どうなるでしょう?
その子だけ余計ママ依存になります。周りの子は、自分の言い分が必ずしも受け
入れられない現実を目の当たりにして、言い方を工夫したり、時には主張を引っ
込めたりする経験をします。
ママ依存子供は、そのスキルが全くない。だから仲間内でも浮いてしまい、ママだけ
が友達なんてことになるのです。

親がちょっと出したエゴ心(私のことを頼って欲しい)が、豊かな人間関係を作れる
ハズだった子供の未来を破壊しています。

親が子を守るのは当然です。
しかし”守る”レベルは、子供の成長に合わせて変化させてこそ、子の幸せに繋がる。
私は超が付くほど過保護に育てられ、人に高慢な態度を取る嫌なヤツでした。
当然、心を許す友達もいなく、かといっていじめられるわけでもなく、淡々と暮らして
いました。そこへひょこり保護してくれそうな人がきて、だぁ~っと寄りかかりました。
それしか、心の安らぎを知る術は無かったから。
ところがちょっと満たされた心の安らぎは、なぜか後で不安に変わる。
もし、この安らぎを得られる状態が失せたらどうしようって。
そこから依存が始まるのです。

私が築いてきたのは、そんな情けない人間関係ばかりです。
適度な甘えの重要さに気付いている読者の皆さんは、どうか相手にあった甘えを
差し上げてください。
そして、自分の中の甘えも自らの力で満たすことが出来ますように。