母親が精神科に通っていたということ

私の母は、私が知る限り、ずっと精神科に通っていた気がする。
よく”安定剤が・・・”とか"睡眠薬が・・・”など口にしていた。
カウンセリングを受けるというよりは、薬を処方してもらう治療を受けていた。

私も大学生くらいから精神科の先生のところにちらほらお世話になっていたが、

最近はそれもすっかりなくなった。
精神的な解決法が解るようになり、自分で自分の面倒を見られるようになった。
薬に関しては、半年ほどで減薬に入り、その後3ヶ月ほどで辞めた。
(飲んだのは実質9ヶ月)

薬を飲んでいれば、確かに精神病を患っているように見え、周りから配慮される。
しかし、薬は症状によっては益がない。
しかし母親はきっちりと精神病患者であるために、薬を飲んでいることを周りに
アピールしていた。
母親は、周りの注目を集め、労られること、褒められることを無限に求めていた
気がする。
そんなことありもしない幻想だと気がつかずに。

私は母と同じ愛情の飢餓感の中で生まれ育ち、精神を患った。が、愛情を与える
方法を身につけ、飢餓感から抜け出た。
別に私が母よりも優れた人間だったからではなく、素直に人という存在を考える
ことを怠らなかったからだと思う。

母はみんなに労られると信じている精神病患者ゾーンから抜け出たくないんだろう。
大切にされるハズだというファンタジーに身を置いていたいのだ。
しかし他者からすれば、迷惑千万。
自分の面倒は自分で見てください だ。
なんであんたを労らにゃならん?そもそもあんたが誰かを労ったことないのに。
とくに子供は好き放題振り回したやんけ。
それでいまさら気を遣ってくださいは、ムリでしょう。

あの人はいつまで自分のファンタジーに閉じこもるのでしょう?
いい加減、現実の人の姿を見ればいいのに。
間違った箇所にポコっとはまった人生は、そこから抜け出て自由な身になった
側からすると、自らの首を絞めているようにしか見えんのです。
泉谷閑示先生、わざわざ不幸から抜け出ない人のこと、今度題材として取り上げて
くれませんか?