「うちの子、やさしいのよ」の落とし穴

よく、親が我が子を褒めるときに「うちの子、ああみえてやさしい所あるのよ」という。
この場合、やさしい所ってなんだろうって思う。

エゴのある親の場合、やさしい==親に都合の良い と解釈されている。


親の話を聞いてくれる、お手伝いを率先してやってくれる、兄弟の面倒を見てくれる
<- そりゃ~親は楽だし、子供に親思いだこと!といった感想を抱くだろう。

しかしそれらの行動は子の本心から来たものか?
否、大概親に嫌われたくない、捨てられたくない一心でやっているだけ。
この場合、やさしい所ではなく気の毒な所といった方が正解に近いだろう。

このような親は人を人とも思っておらず、自分の欲望を満たす駒と思っている。
成熟した大人なら、こんな危険な思想を持つ人物から距離を置くだろうし、
そこそこの大人であっても、嫌な思いばかりさせられるから、自然と疎遠になる。

そこへきて、子供は逃げる場所がない。仕方なく駒としての役割を果たす。
己の心を殺しながら・・・。

親は思い通りになる子を溺愛する。だって自分を受け入れてくれるのはその子だけ
だから。
子は親に思考を奪われ、いつしか親と一心同体になりたいと願う。
が、社会に出るといつまでも親子だけで関係性は終結しない。
新しい人間関係を通して、子は自らの異常な親子関係に違和感を持つようになる。

けども、ねっとりまとわりつく親からの束縛がそう簡単にはがれるわけない。
反抗期を表現できる周りをうらやましく思いながら、親にひれ伏す日々。
そうやって去勢された人間ができあがる。

「やさしい」という単語はプラスの印象に取られることが多い。
けれども、やさしいは先に示したように都合の良いという意味としても使われる。
もし、アナタが感想を口に出すならば、誰がどう見てもその感想を言葉通りとって
誤解がないかを確かめてからにした方が良い。

言葉のパブリックな面とパーソナルな面をごっちゃにしたまま、口に出すと相手は
誤解する。
まあ、そこそこ相手も頭が良いから、明瞭ではなくとも、この「やさしい」はうそくさいな
と思うのだけれど。

親の自慢にろくな事はない。
”優秀なの、やさしいの、気がつくの” 
んなもん、自分の心にしまっておけや[E:annoy]

聞く側もウンザリの自慢話。
自慢するだけ愚かだということにさえ、気がついていない親。
そんな親を持った子が気の毒でなりません。