返報性のルールにも乗れない場合は切り捨ててよし?

女性はしてもらったら、お返しするという返報性を大切にする。
古来より、集団の中で上手に生き抜くための技。
ところが、私に限っては、それは通用しないらしい。

私は、学生時代の友人が結婚する場合、披露宴に出席&プレゼント をしてきた。

学生時代と今では住んでいる場所が離れているので、他の列席者に比べて
交通費と時間という余分な負荷がかかる。
それでも相手が来て欲しいというのだから・・・と思って頑張ってきた。

で、自分が結婚するとき。
結婚式は私の意向で行わなかったが、メールでおめでとうの一言だけで
あとは音沙汰ナシ。
後々メールが来ても、配偶者のことを根掘り葉掘り聞きたいだけの質問ぜめ。

ここで分かったことは、私という存在は相手の心的世界において返報性のルール
にも乗らない微々たる存在だと言うこと。
それはもちろん、私が相手に優しくできていなかったことが原因。
アダルトチルドレンは表面上は相手にやさしく(単純にYesマン or へつらう)する
ので、偽友人としてはそこそこ関係性を保てる。場合によって相手は言いように
使える都合良い人と解釈していることもある。
だけど相手の心の支えになるといったことがない。だから私に返報性を発揮しようと
思わないんだ。

結局互いに結んだ間柄は薄っぺらい関係性。
互いのエゴを押しつけ合うだけの関係。

私はちゃーんと目を覚まして、こんな意味のない人間関係はばっさり処分して
新しい深くてぬくもりのある人間関係を作ればいいんだ。

大人になると友人が出来ないというけど、それは違う。
子供の時だって、全く境遇の異なる人間ばかりだったら、友人なんて出来なかった
ろう。
子供の時は共通点が多い分、話が通じやすかっただけ。
大人になって友人関係を結ぶときは、想像力をフル活用して、相手の生きている
世界に思いを馳せることが必要。
それが出来なければ、どんな相手とも交わることは出来ない。
出会っても、一回こっきりで終わる。

大人になってから、友人を作るために自分に課すハードルは高い。
けど、大人時代と子供時代の時間の長さを比べたら、断然大人が長いわけで、
一度そのハードルを越えたなら、生きている時間が長いだけ、友人を多く作れる
可能性があるのだ。

過去の友人だけを友人としていては、人間関係は狭まるばかり。
ちゃんと今を生きている素晴らしい人間にあったら、すかさず友人になれるよう
相手の話に耳を傾けよう。
そのために、先ず自分の心の中を整理しよう。