自己肯定力による対処能力の差

自分を肯定する力のある人は、一見すると嫌な出来事が起こっても、フラットに
捉えたり、プラスに捉えることが出来る。
一方自己否定をする人は、嫌なことが起こると、いい訳をするか、他人のせいにする。

例えばお客様からクレームが来たときに

肯定力のある人は
我々に至らないことがあったのをお客様が指摘してくださる。向上するチャンス!
と捉える。
自己否定をする人は
こんなことまで気にするなんて、細かい客だなぁ。
自分じゃなくてアイツの責任だろう。オレがなんで対処しなくちゃならん?
と思う。

起こった出来事は同じなのに、自分へのメッセージは180度異なる。

ポジティブに考えましょう!というスローガンを掲げた啓蒙書を見ると、大切な
ことが抜け落ちている。
そう、自己肯定力があるかないか、それによって、人はこうもとらえ方が違うのに
肯定力には目もくれず、あーしろだとかこーしろという。
それはどうも無理難題じゃないでしょうか。

この自己肯定力は、主に親がどういう人であったかが大きく寄与する。
親が子を怒らず、耳を傾け、共に解決方法を考えることをすれば、子は自分を
否定することなく成長する。親が子を褒めてやれば、自己肯定力が身につく。
一方、親が子を怒ってばかりで、親の思い通りにしようとすれば、子は親から
足りない足りないとせっつかれている感覚に陥り、自分を否定するようになる。
肯定力なんて、先の又先。

だめな子にはだめな親がセット。

ただし、だめな親にだめな子はセットじゃない。
最初だめな子でも、人生のどこかで、「これじゃいかんやん!」と気がつけば
違う道を歩むことが出来る。

自己肯定力という能力をいかにして身につけるかを的確に捉えた書物は少ない。
もしくはない。
アダルトチルドレンをいう概念を提唱し、ワークを提供している団体が発行する
書物でさえ、提示された解決法は当事者からすると、けっこう遠い感じがする。

自己肯定力は、能力ではない。
心の有り様を指す。
心が「あっ!これでいいんだ、ここにいていいんだ。これが素直な心の模様だ。」
と感じさえすればいい。
一見すると簡単に見える。
しかし、このような心にふっと何かが落ちてくる感覚は、一朝一夕では得られず
また、現代は非常に得にくい環境である。なぜなら皆が頭脳集団と化しているから。

あるがまま といった概念を理解するのはとても難しい。
分かっていても、もっといい所を目指してしまう。
いい所を目指すから、今の自分はまだまだとレッテルを貼る。
それが自己否定。

日本人的村社会思想を脱しなければ、きっとあるがまま境地には立てない。
どうしたら、よかもんか。悩むのぉ。