子供の名付けの変化から読み取る価値観の変化

30年ほど前は、男性は○男や○郎、女性は○子という平凡で読みやすい名前が
主流だった。
名付けは、姓名判断を元に親が決め、ときにはお寺さんに相談して決めたものだ。

ところが現代は、きらびやかな名前、変わった音の名前、無理矢理の当て字で

作られた名前など、学校の先生もフリガナなしでは、もはや読めない状態に陥っている。

名前を付けると言った一連の行動にここまで大きな変化が生まれたのはなぜだろう。

一つは、日本人がカシコクなって、名前の既成概念を取っ払ったからであろう。
もう一つは、少子化によって、子の名前に入れ込む情熱が高くなったからだろう。
さらに、我が子が目立って欲しい・カッコよく思われたいという着飾りの意識が芽生えた
からだろう。

前者2つは、まあいっかと思うのだけど、最後の理由にちょっとした危険性を
感じる。
我が子はその名前を一生背負って生きていくのだ。
つまり親が与えたとはいえ、その名前が与えるイメージと過ごすのは子供。
きららちゃんなんて、かわいらしい名前を付けてみたものの、ボーイッシュ
で、着飾ることに興味がない子だったら、周りからイメージ負けだねと言われる。
それも本人が。


親は子供にこうあって欲しい・こう生きて欲しいと生まれる前から夢を描く。
ただしそれは子供の生き方の選択とは別個。
親が自分で叶えられなかった夢を叶えるのが子供の役割じゃない。
自分が地味で目立たなかったから、子供には目立って欲しいだなんて
子供からしたらお仕着せだ。

大体子の名前を見ると親の自立性・知性・教養のレベルが見て取れるように思う。
いい名前とは、生き方の芯を表しており、それはけして外見を表していない。

~自信を持って生きて欲しい~
~広い視野を持って生きて欲しい~
~周りを大切に出来る人になって欲しい~

そういった願いを込めて付けた名前なら、子が大人になってから、自分の名前に
誇りを持ち、愛おしく思うだろう。

名付け親の新米とおちゃん・かあちゃん、ガンバレ。