子孫繁栄の過渡期

結婚する理由は
・親を安心させるため
・世間体を気にして
・子供が欲しいから
・経済的安定を求めて
・結婚はする物だとおもっているから
・老後が寂しい
など、けっこう頭支配の理知的理由が多い気がする。

もちろん、お見合い制度を利用して、戦略的に結婚するなら、上記のような理由は
もっともだと思う。
ただ、恋愛結婚を求めるなら、終始一貫して上記の理由でおつきあいをするのは
如何なものか。

恋愛とは、人と人が惹かれ合い、求め合うという作用があって初めて成り立つ。

出会ったときから、五感と思考を全動員して、目の前の人を判断し、好ましいと
分かったら、今度は自分が好かれているかを確かめに入る。
確かめた結果、5割の打率で、相手も自分に好意をもっているとしよう。
そこでやっと恋愛の入り口に立てる。

自分の経験を振り返って分かることは、人と人が惹かれ会うことは稀である。
人生において、この人は!と思う人に出会うのは、それこそ数百人に一人。
さらに惹かれ合うとなると、確率はさらに半減。

つまり、恋愛一つとっても、人が戦略が働かないと、なかなか成り立たない
のだ。
戦略というと、聞こえは悪いが、もし戦略が働かなければ、人は恋愛に
到達せずに、子孫を残せる個体はごくわずかとなる。
そうすれば、人間が絶滅の危機にさらされる。
つまり、戦略も知恵の一環なのかも知れない。

人は置かれた環境によって、その生殖に変化が生じた。
人間という種が生まれた当初は、ある程度子孫を増やさねばならないので、秩序
よりも、強いオスが多数のメスとくっつく構図であった。
ある程度個体が増えると、生物のヴァリエーションが必要だから、1対1でくっつき
個体を作るといった方法に変わった。
そして、現代・・・
個体数が増えすぎたので、恋愛の出来る人間的に優れた個体の子孫が
残り、それに当てはまらない個体は、子孫を残すレースからは外れつつある。

もしこの仮説が当てはまるなら、現代の少子化は、生物として歩むべき方向を
歩んだということになる。
ここで、最終ステージへ一気にシフトしないで、お見合い制度を利用して、以前の
形を保とう(保守的であろう)とするのは、一部の個体が最終ステージへ急ぐことを
危惧してなのかもしれない。(もちろん潜在意識でね)

保守的というのは、悪いイメージばかりつきまとうが、実際保守的では無くなったら
毎日改革が起こりすぎて、ほとんどの人がついて行けずに、社会が破滅する。
つまり保守とは、人間に備わった安全装置とも考えられるのだ。

私個人の意見は、結婚したい人はして、したくない人はしなくて、子孫が欲しい人
は作ればいいじゃん!
ただし、それを義務と思っちゃ~、子孫に悪影響が出るから止めときなという考え。
つまりは最終ステージ派。

どっちが正しいとか、結論づけられる考えではないと思う。
ただ、我々は子孫を残す方法の過渡期に来ていることだけは、認識しておいた
ほうがいい。