意味のない看板

国道を走っていたら、ピンクのでかでかとした看板に「ミドリ 400m先右折」
と書いてあった。
ミドリという会社が全国チェーンで有名ならば、これで十分だろう。
しかし、看板の出来から察するに、おそらく地方の小さな店だ。
したがって、ミドリが手芸屋なのか、お総菜屋なのか、はたまたスーパーなのか
書いていないと、自分にとって用事があるのかないのかさっぱり分からない。

ちなみに家から5Kmと離れていない場所の看板なので、私に分からないという

ことは、地元の人にも有名な店ではない可能性が高い。

あの看板年間20万円は広告料支払っているんだろうなぁと思うと、実にもったいない。

このような当人は分かっていても、周りの人には分からないという事態は多発して
いて、かくいう私もブログの中で、説明不足のまま、文章がつっ走ってしまったり
主語をすっ飛ばしてしまったりする。
その可能性はいつも頭に入れているから、なるだけ読み返して、わけわからん
を防ごうと努力する。

ところが、世の中には、可能性さえも考えず、言いたいことを言いたいだけ言って
「伝わらん・・・」とお嘆きの方がいる。
←当たり前だが、聞き手は人である。従って、人が分かるように話をしないと
伝わるはずがないんですよ。(という考えが抜けてまっせ)

間違えたって、伝わらなくたって、いいじゃない。
ただ、伝わらなかったのだったら、もっといい説明がなかったかなと頭を総点検
してみなはれ。
それを繰り返していけば、伝わらない率はぐっと下がります。

人間は学習能力がある。その能力は苦い思いから身につけた方が、効率いいん
です。
是非とも伝わらなかった責任を相手のせいにするのではなく、多少なりとも自分を
振り返る絶好の機会と捉えて欲しいと思います。