聴くという動作は、お金を払われないとやれないのか?

人と話をするのにお金がかかるというのは、意外に思う人もいると思う。
カウンセリングは、一時間あたり6000円~一万円が相場であり、何をするかと言えば
話を聴いてもらうのだ。

私が初めてカウンセリングを受けたときに、聴くだけで一万円?!と納得が

いかなかった。
先生や友達、親と話すのは、当然無料だったからだ。

しかし、自分が誰かの話を聴く側になって、分かったことは、聴くという動作は
非常に忍耐が要り、自分を消費する行動だ。
それは、まさに労働であり、対価は支払われるべきだと思うようになった。

だからといって、親しい間柄で、ご飯をごちそうする以外の、金銭の授受が行われる
のは、不自然な気がする。では、いったい何を対価として支払うのか?
それが、話を聴いてもらったら、同じように話を聴くのである。
ただし、聴くのであって、聞くのではない。

聴くとは、-まず自分を消す。相手の世界の中に入る。客観的目線で、相手が迷い
込んでいる袋小路からの脱出方法を見つける。見つけても正解は言わない。
話し手が、脱出方法に気がつけるように、ヒントを出す。-
という行為である。

聞くとは、-耳を傾ける。相づちを打つ。意見があったら言う。間違えていることは
指摘する。正解を言う-
という行為である。



さて
人は聴いてもらったときだけ「分かってくれた」という満足感を得る。
誰かに相談したときに「所詮伝わらないよね」「話して無駄だった」と思うとき、相手は
聞いていたのである。

先に示したように、”聴く”のは忍耐がいる作業であるからして、それを行える人は
稀少だ。
”聴いてもらう”に対して、”聴く”で返すことが出来ない世の中だからこそ、ビジネス
として成り立っている。
と同時に、聴く側が、無限に労働を強いられないために、金銭というセーフティネット
が設けられているのだ。

世の中のインフラが整い、いつ誰とでも連絡が取り合える便利な世界になったのに
聴くことのできる人間の不足で、本当の人間同士の交わりがなくなっているのは、
なんとも皮肉である。

文明はある程度進んだ所で、必ず手痛いしっぺ返しを喰らう(例えば工業汚染とか)。
今、日本にひたひたと侵攻しつつあるしっぺ返しの一つは、間違いなく人と人の
交わりの希薄さだ。
このままいくと、人々はいったいどんなつながりを持つようになるんだろう。
未来がちょっと怖い感じがします。