嫌なことに「イヤ!」と言えない理由

発言小町で、理不尽な扱いを受けたり、愚痴聞き役をさせられて、嫌気がさしている
のに、離れられない・相手も可哀想だから見捨てられないというジレンマに陥っている
人の相談が目立つ。

相談者は、”嫌い でも 好き”という両価的感情を持っている。

荒波を立てたくないからこそ、嫌いの部分を相手に改善してもらって、元の仲良い
関係に戻れることを期待して、アドバイスを求めている。

しかし私は、ずいぶんと傲慢な考えに思う。

要するに、私(相談者)の思うとおりに相手が変わってよ(元に戻ってよ)といってるのだ。
思いどおり相手を動かす->即ちコントロールしたいということだ。

人は他者をコントロールしてはならない。する権利もない。
己だけを制御下に置ける。

「でも、私間違ってないもんっ!自分の意見を変える必要なんて無い。」と仮に思った
とする。
KOMAは、何も相談者の意見を変えろとは言ってない。
相手との接し方を変えろと言ってるだけ。

嫌だと感じるなら、徹底的に距離を置くか、嫌気を前面に出して相手にアピール
すればよい。自分の心に素直になればよい。
そこを「だって、元はいい人だから」とか「あの人しか友達がいないから」という
理屈をこねる性根が、間違えている。
その、フォローの気持ち、どっからやってくるんですか?

それは”共依存”から来ているのです。
相談者自身が、相手から必要とされることで、自分の価値を見いだしているのです。
だから相手にひどい扱いを受けても、「私だけがこの相手を支えられる」と勘違いして
嫌なのに離れられない。

ここで問題なのは”共依存”の関係性を作ってしまう自分なのです。
共依存は「自分がない・自信がない」人に起きます。
自信がないということは、無条件に自分を受けれていないということです。

あかちゃんは無条件に自分を受け入れています。
ところが成長のどこかで、自分を無条件に受け入れることを辞め、条件を
満たした自分しか認めなくなった。
その条件が、”人から必要とされること”であればあるほど、先のジレンマから抜け
られなくなるのです。

本当はどうやったら、自信がつくのか、自分を受け入れられるのかを考え、行動を
変えていかないと、相談者は延々この手の問題から解放されないのです。

自信のつけ方については、多くの人が迷う所でもあります。
KOMAの例で良ければ、「アダルトチルドレン」のカテゴリーにちょこちょこ書いて
あるので、ご覧ください。

自分を取り戻し、自分が嫌なことは嫌なりの対処が出来てこそ、大人です。
波風立てず、相手をコントロールしようとする方がガキだ。