今の精神治療では足りないと思う

私が精神疾患を患って半年後に、カウンセリングをスタートした。
カウンセラーはブリーフセラピーという短期間で問題を解決するアプローチを
していた。
また認知に相当の歪みがあるとして、認知行動療法を習った。

認知行動療法を始めた頃、自分にはこれだけ事実を歪曲して受け止めているのか

という驚きと共に、そりゃうつ病にもなるわな という納得をもたらしてくれた。
ところが、「事象の認識をこう変えたらよい」という方法論あたりから雲行きが怪しく
なってきた。方法論が心に入ってこない。
まるで白を黒と思え!といっているようにしか聞こえなかった。

それから何年か経って、別の精神療法の大家にかかったときも、やっぱり
「こうは認識できませんか?」と言われて「うーん」となった。
他者からみたら、私の認識は歪んでいる。
それでも、私は私の思考枠から抜けることは出来ない。

精神疾患の寛解から完治への最後の一歩(認知の変更)が、どうやっても出来な
かった。

ところが、このブログでもお伝えしたように、日常のなんでもないことで、自分の
思考の枠が外れる体験をした。
自然と、自分を守ることを優先するってことが理解できた。
そのとき、何が起こったかといえば、自分を大切にしていた遠い昔(もしかしたら
お腹の中にいた頃くらいか?)を思い出して、なんとなく今の自分への扱いは
適切じゃないと思えたのだ。

これは、とても自然な流れだった。

このような自然の体験をして、本来の自分を取り戻すことこそが、精神治療のあるべき
姿ではないかと思う。

実際、心が変化することを自然に促す精神療法がほんの少し前に確立されている。
マーシャ・リネハンが作った「認識戦略」だ。
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この技法はクライアントの良い所探しをするのである。
とはいっても、間違いや問題を否認して、それでいいんだということではない。
どんなひどい状況でも、何か良い所があるはずだという観点で、良い所を探して、
確かに悪いこともあるが、こんな良い所もあると語りかけるのである。
--(人を動かす対話術 岡田尊司 から抜粋 一部変更)

この方法の優れた所は、探してくる良い所に押しつけがましさがなく、最悪の
環境下でも良い所探しができる体験を通して、自然と物事には良い面もあると
認識を変更できる点だ。

精神病患者が最後に超えられないのは、自分の内部にまで浸潤した思考の枠だ。
しかし、身体の免疫力と同じく心にも自らが不要な物を追い出し、健康な心を取り
入れる仕組みが備わっている。
その仕組みをONするスイッチとして、心の流れを阻害しない「認識戦略」こそが
今ある精神治療の中で、一番効果があるのではないだろうか。

日本ではこの技法を取り入れている病院は数少ない。
だから、身近な人が学んで実践するのが現実的と思う。
否定的な考えに囚われている人には、特に効果が期待できます。