愛のない人が増えた

恋ができない
友達ができない
自信がない

という悩み、よく耳にします。
これらの悩みの根底に流れる共通点は、”自分を心を分かっていない”です。

恋は落ちるものであって、するものではない。
友達には気がついたらなっていたのであって、作るものではない。
自信は付けるのではなく、付くのである。

泉谷先生の提唱モデルだと、頭が「あらねばならぬ」と欲望を全面に押し出し、
心の純粋な「~したい」という思いが抑え込まれると、先に挙げた悩みが出てくるの
です。

心であの人がいいなと思うから、好意があふれ出る。たくさんの好意であふれたら
それが恋のはじまり。
心でアイツといると楽しいなと思うから、一緒にいようとする。気付いたらかなりの
時間や体験を共有していて、”友達”という関係になっている。
心で今の自分を受け入れるから、根拠がなくてもやればできると信じられる。

心の在り方に敏感になれば、先に挙げた悩みは消えてなくなります。
では、なぜ心を粗雑に扱うかというと、頭を優先しているから。

躾や教育の下、感情より理性が優れると刷り込まれ、いつしか心(感情)は
無視されるようになりました。
無視され、抑圧された心は、行き場を失い、漂います。
心はたまにひょっこり顔を出し、頭でがんじがらめにされた己を憂い、気持ちを寂しさ
や不安に駆り立てます。

そんなとき、人は心の何とも言えない手詰まり感を感じます。
自分って何だろう?自分を受け入れてくれる所などあるのか?
自らを愛すことのできない人ほど、このような疑問を持ちます。

愛とは、相手が相手らしくいることを喜ぶことです。
自分への愛とは、自分が自分らしくいることを喜ぶことです。
理性でがんじがらめの自分は、自分を自分らしく感じられますか?
そもそも自分らしくがどんな状態か想像出来ますか?

愛がないということは、これ以上ないほどピンチです。
愛があればこそ、自分を認め、愛で、育てることが出来る。
全く愛がなくなれば、ロボットになるか、生きる意義を見失って自死するかです。

今はまだ、悩み程度で済んでいるかもしれない。
年月を重ね、頭支配の生活がより一層強固になったとき、人は孤独や不安に
潰され、二進も三進もいかなくなる。

今、悩みを抱えている人は、是非自分の心がどう感じているのか、胸に手を
あてて感じて欲しい。
心が「寂しいよぉ~」ってSOSを出しています。
その寂しさを「私がいるからね」「大切にするからね」とやさしく声を掛けて、なだめて
あげてください。
自分で自分をなだめる?と滑稽に思われるでしょうが、人は自分が自分を愛すこと
からスタートなのです。
自分が愛する大切な自分だからこそ、人にも愛されるのです。