アイツがいいのか誰でもいいのか

もうすぐGWです。
多くの人が休みに入り、思い思いに過ごします。
人によっては、親交のある人と連絡を取り、時間を共有することもあるでしょう。

そんなときどうやって会う相手を決めますか?

寂しいから、寂しいヤツと思われるのが嫌だから、友達と会った事実を作りたい
から、学生時代の友人、前の会社の知人に会おうとする。そんなことありませんか?

KOMAは、そうでした。

この人に会いたいというより、暇だし、誰とも会わないと寂しいし、GW明けてから
誰かに「何していた?」と聞かれたら、それなりに答えなくちゃいけない気がして、
とにかく人と会った事実を作りたかった。



私は今まで多くの人に出会い、話をして、体験を共有してきました。
その中に、「この人と一緒にいたい」と思える人はほとんどいませんでした。
そこそこ気が合う人、境遇が似ている人と適当につるんで、友達ごっごをしてきました。
心からその人が好きで、友達であったのとは違いますから、頭のどこかで常に
損得計算が働いていたと思います。
そんな私の狡猾さが、相手に伝わり、自然と縁が薄くなった・・・。
当然といえば、当然です。

自分も相手を惹きつける程の魅力がなかったし、そんな自分だから、一緒にいる
相手もまた自分にとって魅力がなかった。
まさに互いが映し鏡です。

友達がいない焦りは、私の自己否定感を助長し、余計に人を遠ざけてしまいました。
ところが、そうやって縁薄くなって、究極まで行ったとき、「誰も私を見ていないなら
寂しい人と思われることもないな。だったら、気の合う人が現れるまで、気長に
待とう」という気持ちが生まれました。

今の自分はとても心が穏やかです。
友達がいなくちゃいけない強迫に振り回されない自分が好きです。
ひとりぽっちになったからこそ、今まで自分がどれだけ間違えた人付き合いをして
いたかに気付くことも出来ました。

私が求めている間柄は、自分と他者を区別し、互いに尊重する精神と労りの心を
持てることです。
そういう間柄になるために、自分の内面をさらに見続け、自分の「自」を捨て、もっと
大局的に物を見られる人間、相手の気持ちを汲める人間になることが、鍵だと
思います。

私がそういう人間になれたとき、相手から「KOMAさんと会いたい」と言われるの
だと予感しています。