「それは違うよ」と言わなくて居られる自分

明らかに相手の考えに偏りがあったり、間違えたことを言っているとき、我々は
「それは違うよ」と言っていい と思っています。
しかし、私はあえて”言ってはよくない”といいたい。

その人の口から出る言葉は、その瞬間その人が信じていることである。

私はその<信じたという事実>だけは支持したい。
だから、真っ向から言葉を否定しないよう心がけている。

もし、貴方が間違えた知識を持っていたとして、それを誰かの前で話したとき
「それは違うよ」と言われると、一瞬心がひるむと同時に凹むのではないだろうか?
それが、「そうなんだー。私は××って聞いたことがあるんだけど、どっちが正しい
んだろうね?」と言われたら、ひるむだろうけど、凹むより確かめるの方に意識
が向かないだろうか?

間違えていることを正すのは優しさだと思う。
ただし、その人が<信じたという事実>を否定することは、エゴでしかない。
”正しく直すためなら、どんな手段でも構わない”わけではない。

人が尊重されることは、正しさの前であってもそうでなくても、守られるべきルールだ。
しかし、人の心と事象の正誤について分離することを我々は学習する機会が
ない。
その結果、正しさの前に横暴な剣の振り回しが黙認されている。

このブログを読んでいる人は、きっと賢い人だ。
だから、今回議題に上がった心と事実を分けて考えられると思う。
これをきっかけに、相手を正すときちょっとだけ気を配ってみてはどうだろう?
そうするだけで、貴方の印象はぐっとよくなる。