性交渉未経験者の割合が日本だけ突出して高いのはなぜか?

大変興味深い記事を見つけました。
news.yahoo.co.jp

英国では35~44歳で異性との性交渉未経験者の割合が女性0.5%、男性1.5%、米国では女性0.9%、男性1.4%、オーストラリアでは、女性1.2%、男性1.8%であったのに対し、日本は女性8.9%、男性9.5%というのです。

日本には、他国に比べて平均6~10倍性交渉経験のない人がいる、ということです。これは誤差の範囲では済まされません。

記事では収入や雇用形態が原因と考えています。しかし、各国の失業率は高く、日本の1.5倍強となるところもあります。果たして収入や雇用だけの問題でしょうか?

f:id:idea-for-life:20190415112748j:plain:w400

日本独自の文化

我々の見慣れた風景に、親子揃って川の字で寝るというものがあります。子供を一人で寝かせるとなにかあったときにすぐに気がつけないから、一緒に寝る。これは親子の絆を深めるほほえましい家族のあり方として捉えられてきました。

一方で、子を挟んでのコミュニケーションは、夫婦水入らずの時間を奪います。子供からみる風景は、いつもボクを守ってくれるお母さん、外で働いてくるお父さん。

家庭で男女のあり方を学ぶ機会を逸した子供は、学校や社会に放り込まれても、やはり周りはボクを守る人、ボクを養ってくれる人と思ってしまう。ボクは目を掛けられる側で、目を掛ける側にはなるという発想が生まれません。

そして月日が流れ、身体だけ大人になると、[こども大人]になります。異性を惹きつける要素の一つは、優しさ、すなわち相手を思いやる懐の大きさです。ところが、[こども大人]は思いやることを知らないので、いつまでたっても異性を惹きつけることができないまま。

無責任を助長する文化

さらに、もし母親と父親の仲が悪かった場合、母親は我が子に傾倒していくので、よりいっそう干渉度合いが増します。なんでもかんでも先回りしてやってもらうのが当たり前と化した子供は、何かすることを躊躇します。

やったことがないから、怖いのです。

できるだけ待ちの姿勢を貫いて、やってもらうことを望みます。それゆえ、「独身にとどまっている理由」のトップが「適当な相手と巡り会わない」になる。適当な相手との出会いを誰かにプロデュースしてもらう、もしくは運が呼び込んできてくれて、出会えればいいんだと。

理由を自分に求めないところが、まさにやってもらうの典型です。思い通りにならない人生の原因は常に外。自分に問題はない。

親が分かってない

そうやって、原因をなすりつける行為は、端から見ると見苦しい。いい年をした大人が、自らを省みることなく、やってもらえないとわめく。異性うんぬんの前に、精神の幼さが問題視されるでしょう。

子供に一日も早く精神的自立を促すのが、親の仕事です。「やってみなさい」「あなたなら出来る」「今回はどこが悪かったか、反省してごらん」。そういってなにごとも経験させ、答えを出させる。

子供の力を信じ、一丁前の人として接し、人生の荒波は、自分の力で乗り越えさせるのが筋です。

なのにそのチャンスを取り上げ、なるべく平和に過ごさせようとすれば、たちまち貴重な経験が奪われてしまう。そのことがいかに危うい未来を作るのか、親の方こそ分かっていません。

結局、親が独り立ちできていないから、子供を独り立ちさせられない。

親が結婚できたのは、自らの力などではなく、結婚しろという同調圧力のおかげです。性交渉の経験のない子供の周りには、自らの力で性交渉にたどり着けるほど力のある者がいなかったのです。

好きにすればいい

じゃあ、手本もないし、しょうがないと諦めるのか。それもありでしょう。自分に「どーせ」のレッテルを貼り、すねることは誰でもできます。

そうだと飲み込むか、なにくそと頑張るかは、それこそ個人の自由。親の敷いた平和なレールを走り、異性と交えることなく朽ちるも人生、なにくそと頑張って、目を掛ける側に立つ方法を学ぶも人生。

どっちでも好きなようにすればいいです。

ただ一つ言えることは、人を思える人になれるからこそ、人に思ってもらうことができる。

性交渉とは、その醸成の帰着点の一つではないか、と私は思うのです。