コメントの御礼1

【最初に】

このブログを発信することで、普段の生活では出会うことの出来ない素晴らしい方々
と出会い、励ましをいただけたことに感謝します。

【コメントの御礼】


スピーさんへ

おひさしぶりです。覚えていますよ。
カウンセリング申し込みありがとうございました。
その後もブログを読んでくださっていると知って、2重の喜びです。

スピーさんの環境がよくなって、本当によかった!と思います。
苛酷な環境で笑顔のなくなった人をみると哀しくなっちゃいますもん。
スピーさんの心が少しでも落ち着いて、空を見上げて微笑める日が増えると
私もうれしいです。

同じような苦しみを持つもの同士でなにかコミュニティーがもてたらいいですね。
ACにはACしか分からない苦しみがあります。
正常に育った人からみたら、こんな些細なことで傷つくんかい!と
半ば呆れられることもあります。
しかし、私は心が痛いならそれがその人の真実であると思います。
我々は心にとても敏感です。
だからこそ、言葉選びに慎重になれる。
そういう人が集まったら、やさしい空間ができて、さぞいいことかと思います。

集いが実現するいい案が思いつけば教えてくださいね。

コメントをいただいて、こちらが心の落ち着きと勇気をいただきました。
ありがとうございます。

ぴーこさんへ

コメントをいただきありがとうございます。
ブログに書いた言葉は汚いですが、それが反ってストレートに伝わった
という意味で、怪我の功名です(笑)

命を絶つって不思議な存在です。
自分は苦しいから、明日も明後日もこの苦しみと一緒にいるくらいなら
消えて無くなりたい。もしかしたら自分を傷つけて瀕死になったら、私の
欲しかった”愛”がもらえるかもってちょっと期待してしまいます。

でも、よく考えたら、”愛”がなんだか分からない連中だからこそ、
自分が追い詰められたのであって、やっぱり死んでしまっても、彼らから
切り捨てられるのは間違いないんです。
・・・とすれば、無駄死に。
ちょっと命がもったいなくなります。

ぴーこさんと親の関係は毒になる親の過干渉タイプそのままです。
つまりKOMAとまったく一緒なんですよ。(そんなの一緒でも嬉しくないか(;ω;))
そーいう地獄サイクルからどうやって抜け出すのか、毒親を持つ子供は
みんな考えます。
私の出会った精神科医は、そんな親なら連絡しなくても離れてもヨシ といいます。
最初の頃は、「親は大切にするものでしょう」という思いこみから、
”絶対無理、できない”と思っていました。

月日が経ち、親から攻撃を喰らう度、自分の命が縮まっているのを感じます。
自分が死ぬか親が死ぬか。
そう考えたとき、やっぱり自分を守らなくてはと思いました。

このブログでは、頭では分かっていても心でついて行けないことを腑に落としていく
やり方(心のもって行き方)を考えています。
我々はさんざん親に食い物にされてきました。
もう、自分のために生きたいです。
だから、これからもずっと、書いていきますよ。自分の中にやり方が見つかるまで。

ぴーこさんは自分は否定する人間だというところまでは、冷静に判断できていますね♪
次は心から幸せになりたいと思う番です。
一緒に考えて生きましょうね。
コメントありがとうございました。

みずたまさんへ

コメントありがとうございます。
ちょっぴり投げやりな心をよくぞ拾ってくれました。
クサクサした心が少しやんわりしましたよ♪

前向きにACやその他のことを考えるために、このブログを書いています。
それは不幸な生まれや運命だからといって、未来も不幸とは限らないから。
考え次第で、引き寄せる運や人が変わることを、自分の経験則として知っています。

だから不幸の底でうずくまるより、明日の光を探したい。
これはきれい事ではなく、しっかりと生きるための欲みたいなものです。

みずたまさんを初め多くの人がこのブログを読んでくれることで、私と一緒に
幸せの世界へ一歩踏み出して欲しい と心から思っています。

今回コメントをいただいたことで、一つ自分が間違えていたことに
気がつきました。
普段コメント欄を閉じているのは、攻撃を防ぐためというのもあります
が、どこか人と接することが恐いという自分の防衛だったと思います。

このブログの議題をいいと思う人もいれば、悪いと思う人もいる。
それがこの世の中です。
恐い恐いといって、人を遠ざけていては、自分にとって大切な人々と接する
機会を失います。

もっと他者の力を借りて、生きていく大切さを今回の件で学びました。
ありがとうございます。