隠れている前提条件

3m向こうのボールを歩いてとってきたら20万円差し上げます。挑戦しませんか?
と言われたら、「ハイ」って答えますか?

物事には言葉に表れない前提条件があります。

このケースだと、確かに3m向こうにボールはありますが、地上100mで幅30cm長さ3m
の足場を渡らなければ取りに行けません。それも命綱なしで。

そこまで聞けば、「やめとく」ってなります。
つまり前提条件なくして、事の是か非かを判断するのは難しいのです。

しかし、現在の法律や常識は、前提条件があやふやなのです。
だから発達障害の人に適した裁きの方法がなかったり、毒親に対する子の逃走を
妨げる(扶養義務)法律があったりするのです。

私は正常な養育環境で育つことが出来ませんでした。
従って、歪曲した思考を持つ人間になりました。
その人間に、正常に養育された時に適用される考えを押しつけて、何になるのでしょう。
虐待されたことのない人間に、生きづらさを抱えることの意味が分かるのでしょうか?

私は小学校2年生で子供を持つことを諦めました。
自分には子供を産むことも、育てることもできないと悟ったからです。
子供ができないんじゃない、もてないんです。
あまりに精神的に追いやられていて。
だから、”ふつー”ではない。
我が子を愛し、育てるという自信が、小学生の子供に”ない”と分かるって異常だと
思います。
それだけ、私はあるがままを認めてもらうことのない子供だったわけです。

精神的な虐待を受けて育ったとは、身体のどこにも張ってありません。
だから周りは子供を産まないなんてオカシイと批難するのです。
そう言われることがとても辛かった。
へんな話、不妊が周囲に認識されるようになり、積極的に子供を持たないのか
身体的に子供を持てないのか見分けが付かなくったことで、ホッとしているのです。
子供の話をされることも、子供を持てと迫られることも減りましたから。

犯罪行為や迷惑行為でもない限り、人は何を選択し生きていくのか自由に決める
権利があります。
それを”常識”と違うといっただけの理由で、前提条件を見ずに判断を押しつける
ことは、思いこみの上に胡座をかいたバカがやることだと思います。
何が正しいかなんて、本当は誰にも分からない。
だからこそ、一つ一つ状況や心理を吟味して、話を聞いて考えるじゃないですか?

批難されたり、考えを強制されることで、傷つき、殻に隠りたくなる人が沢山います。
そういう人をもう二度と傷つけないように、心を透明にして話を聞いてあげてください。