ACを回復する方法としてマーシャ・M・リネハン博士の開発した弁証的行動療法(DBT)
が使えるかどうかをずっと検討している。
DBTを一言で言うのは難しいが、受容をベースとした冷静な場面判断及び適切な思考
を身につける手段とでもいったらよいだろうか。
精神分析とは異なり、原因に言及するのではなく、本人に不利なパターンを有利な
パターンに置き換える手段を身につける手法である。
DBTの中で行われるのが、受容されること==認証(validation)である。
ACは子供のもつ素直な心を否定されて育ってきた。いわゆる不認証環境での養育。
大人になって突然”あなたはあなたのままでいい”と言われたところで、不認証環境
の人にしたら、単なるおべんちゃらにしか聞こえない。
では、どういった認証ならば、素直に取り込めるのか。
それをずっと考えていた。
先週金曜日の「もう一度君に、プロポーズ」の中であった台詞にこの問いに対する
大きなヒントがあったので、書き記しておきたい。(脚本家の3人さん、ありがとう)
波留(竹野内豊)に想いを寄せていた桂(倉科カナ)は、恋に破れる。
そのことを波留の妻可南子(和久井映見)の弟裕樹(山本裕典)に追求されるシーン。
裕樹:振られた割に元気だね。
桂: だから~
裕樹:女として見られていないってことでしょ?
桂: まぁ~、そういうことだけどさぁ~。
(間)
うれしかったんだよね。一番弟子だって言われたとき。
波留さんは私のことちゃんとみててくれてるんだって。
すごくうれしかった。
それだけでもう十分・・・そう思ったのかな。
---
あっそっか!って思った。
私のことちゃんとみててくれてるんだって思えたら、それでいいんだって。それこそ
認証の真骨頂じゃないかって。
だれかが私をちゃんと見ていてくれるって思うだけで、寂しさが吹き飛ぶ。自分を
否定していた気持ちが消える。認められた感じがする。
すっごく単純なことだけど、でもとっても大切なこと。
器量よく相手を褒めたり、否定を続ける相手を押し上げようって足掻くんじゃなく
純粋に”私はあなたを見ていますよ”ということが相手に伝わりさえすればいい。
どんなキレイな言葉より、これだ!!!。
見ている という行為、ただそれだけで、不認証だった世界に認証の扉が現れる。
ここがスゴイ、あそこがスゴイって褒められるより、自分が生きているだけで十分
って思える。
ACに必要な回復って、見てくれている人がいるって認識することなんじゃないかな。
もちろん、そんな人、簡単には現れない。
けど、自分に本当に必要なものが分かれば、自ら与えることもできるかもしれない。
そして、今度は自分が相手に「見てますよって」言うことによって、相手に好きに
なってもらえて、もしかしたら、相手から「私もあなたを見てます」といってもらえるかも
しれない。
私は今まで、人と仲良くするというのは、人の喜びそうな話題を提供することや
人の話を聞くことだと思っていた。
でも、そうじゃない。
相手の存在そのものを、自分の右脇に用意するってことだと思う。
「あんたのいいところ、いっぱい集めて、この右脇に抱えているから、困ったことが
あったら、この右脇の飛び込んでコイ」と言えることだ。
なんかちょっとだけ視点が変わった。
関連記事
宝物の言葉を集める1