親って子に罪悪感を植え付ける天才?

寂しいな、独りぽっちだな、生きづらいな、と考えているあなた。どんな育て方、されてましたか?

えー、そんなの「普通」だよ。

その通りです。生まれた家のルールが標準で、それと比較できる対象をもってはいない。だから、自分のやられてきたことが分からないんです。反対に、「母の日」とか「勤労感謝の日」というのはあって、やってもらったことは否が応でも考えさせられる。

この不均衡をなくするため、これを読みながら、やられてきたことを振り返って、今後どう活かしていったらいいかのヒントにしていただけたら、と思います。

何事も遅すぎるってことはない。違うんじゃないか、と勘づいたら、直していけばいいんです。

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嫌なことをされても黙ってしまうあなた

相手に何をしたわけでもないのに、急に「○○ちゃんってさぁ、地味だよね」とか、「友だちいなさそう」などと叩かれた経験はありますか?

大概ありますよね。ようはけんか売られてるんです。そのとき人のいいあなたは、「そんなこと言わないで」とも言えず、笑ってごまかすか、「ううん、最近友だちと遊んだよ」と誤解を解きに入る。

けれど、それが正しい方法でしょうか。相手はけんかをふっかけても大した反撃をしてこないな、と思ったら、また同じようなことをしていきます。不快に思っているのなら、もうしてこないように防ぐことが正しい対処ではないでしょうか。

そこで優しい態度を取ってしまうあなたならではの理由を考えたいと思います。それは単なる性格の問題などではなく、遠い遠い昔にあったのです。

優しい態度の起源

あなたの母親は、ちょいちょいこのようなことを言ってきませんでしたか?「あなたは良いわね。それに比べて私は~」。~に入るのは、貧乏だったとか、戦後で物資がなかったとか、女性は大学にいける時代じゃなかったとか、早く結婚しないと白目で見られるとか、そんなの。

地位も、美貌も持たない母親は、目の前の我が子が羽ばたくのが許せません。楽しそうに生きる我が子を見る度、”なんで私だけ…”という思いが湧いてきてしかたないのでしょう。奥から湧いてくるそれらをぽろぽろとこぼす日常がいつもの風景でした。

母の頑張っている姿を見ていたあなたは、それらをどうしてあげることもできず、黙って聞いていました。それくらいしか、出来なかったからです。

ただ、何度もそういうのに出くわして、すっきりした母の顔を見たあなたは、”話を聞いてあげるくらいはやったげなきゃ”という思いを強くしたのでしょう。たとえうんざりしようとも、成人して家を出るまで、いや出た後でさえ、母の嫉妬心につきあってあげていたのでした。

母と娘という関係から学んだコミュニケーションは、そのまま型として深く根付き、社会、家族、近所づきあい、の中で、繰り返されることとなったのです。

つまり現在のあなたは、たった一つ、この型しか手にしていないことになります。

コミュニケーションの型はこうやって変える

でもあなた自身、その型に納得しているわけではなく、やっぱり言われて悔しいことは悔しいし、うんざりすることは止めて欲しい。心では反抗しているのです。ただどうしても言い返すことができない。

それに単に「止めてよ!」でもいいけれど、なんかパワー不足というか、核心を突いてない気がしているのです。

だったら、親子関係を見直してみませんか。

まず、母親の言った「あなたは良いわね。それに比べて私は~」の本意はなんでしょう?額面通り娘をうらやましいともとれますが、それ以上に、「私は可哀想」が強い。私可哀想、だれも私を可哀想と慰めてくれない。

けれどもそれを娘であるあなたが慰めるの、でしょうか?母親の不幸と主張する原因は、娘が生まれるよりずっと前に起こったことばかりですよ?なんで、自分が生まれるより前のことにまで責任をとるのか、考えただけで矛盾を感じます。

としたら、言えることは、「そんなに『可哀想』って言われたいわけ?」。

本人に成り代わって、本意を言ってあげることです。母親もぼんやりとは分かっているけど、改めて口に出されると、ウッってなる。あら?わたし「可哀想」って言われたいなんて、うぬぼれ屋なのかしら?という疑念が生まれる。

同じ思いを抱いていても、それを口に出すのと出さないのでは、やはり自覚の度合いが違います。その違いが、娘に向いてた意識を、母自身へと向けさせ、自らを省みるという方向へと導く。

これは攻めてるのではなく、お返ししているのです。聞きたくもない話をいちいち選ぶ母親に、「なんであなたはそれを選ぶねん!」と訴え返すのです。


母親の頭の中には、世の中にいい人と悪い人がいて、母自身はいい人に分類されています。そのいい人に、うぬぼれ屋の自分という疑惑がかかったとき、はじめて自分はいい人なんかじゃない、という疑いが生じる。ここまでいったら、意識から娘は完全に除外されます。

ということで、無事攻撃をかわせてめでたしめでたし。

具体的な例で考える

この作戦は、社会でも使うことが出来ます。

先に挙げた「○○ちゃんってさぁ、地味だよね」であれば、状況によりますが相手は容姿に【しか】自信がないから、唯一勝てそうなところで勝負を挑んできていると見越して…

だから「そう?自信がある人はそんなことイチイチ気にしないけどな。こんな普通顔の私に容姿だけでも勝ったと言いたいわけ?」とでも返せばいいんです。

もう一つの「友だちいなさそう」も、友だちがいることに囚われてるという本意を見抜いて…

「友だちがいないと不安なの?昔、いじめられてたとか?」と揺さぶりをかけてみる。

すると、相手はどれだけ友だちに恵まれてるかを主張してきます。けれど内心は、かなり焦っています。こちらを否定するつもりが、否定されることになったのですから。

こうやって、相手の予想している展開を崩しに掛かると、二度と攻撃をしかけてこないでしょう。そして、恨みを買うこともありません。向こうから、勝手にこちらを脅威に感じてくれるようになります。

あなたが進むべき道

あなたは、まともにコミュニケーションを学んできませんでした。そして「あなたは恵まれてる」という罪悪感を植え付けられてきました。それは、存分に生きてこられなかった親の、渾身のストレス発散方法だったのでしょう。

ゆえに、その技術は天才的なまでに磨かれています。

ですが、説明した通り、親の不幸の原因はあなたが生まれる前に起きたことで、一切の関わりがありません。そのことを肝に銘じ、ご自身は相手の本意を見抜くことに精進されてください。

罪悪感を植え付ける天才には、努力で本意を汲み取る秀才で立ち向かいましょう!!