欲しているのに信じてない

一人悩みの中に入ってしまって、「助けて欲しい」と思っているのに、「○○さんなら
助けてくれると信じている」という信念はない。←そんな自分に気がつきました。

小さいときから、親に「助けて」と言えば、「迷惑だ」「忙しい」「こっちが助けて欲しい」

と返事をされてきたので、”「助けて」と言えば助けてくれる人が現れるんだ”という
感覚に乏しく、いつの間にかその感覚が定着して”助けてくれる人がいると信じる”
ことを忘れてしまいました。

精神が健全に成長した人は、家族や友人、恋人などを信じる力、頼る力があります。
はっきりと力の正体を見ることはできませんが、傍目からみてもどっしりと構えた絆
のようなものを感じるのです。
その力が、余計に本人の魅力や存在感を増し、ステキな人に映るのです。

幼いときに親に対して”愛着”が形成されないと、以後誰かを精神的な支えとして
生きていくというスタイルを確立することは困難になります。
他者を「いつか裏切るヤツ」「「信じても無駄な相手」と感じれば、自然と壁を作る
ようになり、いい関係が作れたかもしれないにも関わらず、自ら潰してしまう。
なんだか、悲しいですね。

他人に心を開くことが簡単に出来る人は、信じたら相手が応じてくれた経験を持つ
人です。
その経験がさらに人を信じる力を強固にし、信じる力が相手に伝搬して、相手も
信じたいと思ってくれる。いい相乗効果です。

親からヒドい扱いを受けて、一度閉ざしてしまった心の扉。どうやったらもう一度
開くことが出来るのか、ちょっと考えてみたいと思います。