受験に失敗する子しない子の違いとは?

自慢ではないが、私を含む兄弟4人全員、大学の現役受験に失敗している。仮に合格と不合格の割合が50:50だとして、実に1/8(12.5%)の確率で不合格を勝ち取っている。ある意味、不合格エリートといっていいだろう。

そんな私達は、不合格になるための王道を歩いてきた。それを包み隠さずお話することで、反面教師として使っていただきたく思う。

人生なにごとも無駄はない。不合格の実績も誰かの役に立てば、これ幸いである。

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私の勉強への挑み方

まずは私の体験を述べよう。

高校は進学校だったので、校内は高校1年生から受験に向けて押せ押せムードで、とにかく試験の点数を上げることを求められた。授業はまじめに聞いていたけれど、なぜこんなに知識を詰め込まなくてはならないか疑問だった。けれども中間テスト、期末テストは容赦なくやってくる。試験の前は教科書とにらめっこして、念仏を唱えるように一つ一つを覚えいく日々。

そして試験当日。覚えている問題はさらっと解けるのに対し、考察を要する問題はからきしダメ。考えることを知らなかった私は、「正解さえ覚えれば神!」みたいな安直な考えの持ち主だった。
なんというか、間違ってはいけない恐怖ゆえに答えにすがる、といった思いに囚われていたのだろう。

それを3年間繰り返した結果、どうなったか。
短期で覚えた答えは頭から消え、受験直前にはなんにも残っていない状態となった。着実に力を付けてる、というよりテンポラリーに覚えていただけで、なんにも積み上がってない、という感覚。

それでも試験では容赦なく高校1~3年までの範囲を問うてくる。1年の頃習ったものなんて、記憶の彼方。勘で答えるのみである。試験の手応えは、予想通りさんざんだった。

結果、第三志望まで不合格と相成った。

親からの教え

これはひとえに、私の力不足のいたすところ…、だろうか?確かに受験するのは私であり、私以外が勉強し知識を蓄え思考するのではない。しかしだ、私が試験に合格できなかった一因として、「正解さえ覚えれば神!」という安直な考えがあった、ように思う。この考えを作ったのは、果たして私?

違う。私の親である。幼いときから、間違えることを許さず、常に正解することを強いてきた親のせいで、その考えが私に根付いた。そして、じっくり悩むことや、疑問に思うことをとことん追求する姿勢は奪われ、私は記憶マシーンへと仕立て上げられた。

けれどもカエルの子はカエルである。特別記憶力に優れたわけでもない親の血を引く子が、いくら記憶マシーンに転じたとはいえ、その記憶容量は並かそれ以下。多くの知識を問う受験には太刀打ちできっこない。

つまりなるべくしてなった結果が、不合格だったのだ。

保身のために子供を使う親

不合格の理由はそれだけではない。

私には一つ上に従姉妹がいる。従姉妹は非常に優秀で、日本でも指折り数える大学に合格していた。それを引き合いに出して、さも競争するがごとく、「○○ちゃんは、△△大学に現役合格よ!あなたも頑張って」とプレッシャーを与えてきた。

はっきりいって、私と○○ちゃんを同じに扱うのは見当違いも甚だしい。自分らの遺伝子を継ぐ凡庸な私が、両親ともに才能に秀でた元に育った○○ちゃんと同じ土俵で戦えるはずがない。それも戦うのは自分ではなく、子供である。○○ちゃんをライバル視していない私に、そんな発破をかけたところで、プレッシャー負けするだけ。

加えて「合格できなかったらどうするの?予備校のお金なんて払えないからね。」という追加爆撃浴びせ。

従姉妹に負けてはいけない、不合格なら先はない。そういう脅しの中で、無事受験を済まそうとするなど、並大抵の精神力では無理。親は私に鋼の精神を持て、と迫る一方、自分は浪人生の子を持つ親になりたくないという保身を図っている。

あまりに自分の都合すぎやしないか?

結局主人公の子供を差し置いて、親が子を出汁に保身へと走るから、子供は集中できず、失敗に終わる。

失敗しないためにできること

ではこれらを反面教師に、受験で失敗しないための心得を考えてみよう。

まず一つは、勉強というのは正解してもしなくてもいいという気楽さの中で行われるものだと認識する。正解だけを求めると、学ぶ楽しみが失せ、苦行の連続になる。なにごとも継続するには、それなりの楽しみがいる。知らないことを知る喜び、考えることで新たな扉が開く喜び、知識と知識をつなげて自分のオリジナルの考えを作る喜び。
そういう喜びが、知らず知らずに実力をアップさせる。

二つ目は、親は子供を信じる。会話のなかにちょいちょい、「あなたはできる子よ」のニュアンスを織り交ぜる。たとえば、「ねぇ、○○ってどこの国にあるの?」と問いかけ、それを我が子が答えると、「そうなんだ。お母さん知らなかった。やっぱりちゃんと勉強しているからもの知りなのね。また教えて」と言う。すると、子供は親に教えられるという特典をゲットしたくて、もっともっと覚えることにいそしむだろう。

子供の中に「私はできる」を植え付けられると、親の手から離れたとき周りからのプレッシャーに押しつぶされず、自分を信じて生きていくことができる。親の出来ることなんてたかがしれている。勉強を教えられるわけでもない、ましてや子供の代わりに受験できるわけでもない。けれども、我が子を信じてやることだけはできる。

過大に期待するのではなく、今ここにいる子供を出来る子と信じることが親のしてやれる最大の貢献だ。

成功を手にするには?

この二つが揃うと、少なくとも全部不合格といった惨状を招くことはないだろう。では、第一志望に通るのか?といえば、時の運もある。かの有名なコンサルタント大前研一氏は、第一志望は不合格だった。風邪だったかインフルエンザに掛かったかして、十分に実力を出せなかったらしい(うろ覚えです)。

かといって彼のその後が不遇だったかいえば、そんなことはない。今も輝かしい未来を邁進中である。

人生はこれをやれば、必ずこうなる!と確約できるものではない。しかしこうなる!に近づくことはできる。希望の8割満たせれば、おおよそ成功と言えよう。

その成功の元は、自分の中に根付く観念(思い込み)である。だから受験に失敗する子は、失敗するにふさわしい観念を持ち、受験を乗り越えられる子は、それだけの観念が着実に育まれてきている。

頭の善し悪しは一部の人を除いて、そう凹凸のあるものではない。だから行きたい大学があるなら、行ける。自分の中にある観念を適切にチューニングさえできれば。