周りは敵だらけ

結局周りは、私を批判するか評価するか無視なだけで、認めることなどないんです。
ほとんど「アンタ間違ってるよ」「だからダメなんだよ」「こっちの方が正しいよ」と私の考えは潰され、だれも私の心を救ってくれない。
これが、私の生きている世界なんです。

だから、私は間違ってると落ち込む。⇒行動できない。

たぶん、世の中の人は皆「自分」を守るために自分の考えを主張することに軸をおいている。それゆえに、自分と考えの違う私を潰しにかかってるんじゃないかと思います。
いいんです。周りが敵だらけでも。

ただ生まれてしばらくの間だけでも、「親」が私を潰しにかからなければ。
でも、私の親は自分の考えに相容れない赤ちゃんの私を潰しにかかった。
「なぜ貴方(私)は親である自分の思い通りに育たない?」と。
そんなの私知りません。親の欲望のためにこの世に生を受けたわけじゃないんで。

ずぅーっとずぅーっと潰しにかかってこられた私は世の中を全て敵だと感じます。
常に身構え、揚げ足を取られないように必死に防御する。
そんな人間が相手を理解できるはずもない。友達いないはずです。

人に対面したとき、私はまず相手の欠点を見ようとする。
それが自然の流れになっちゃってる。クセですね。
その流れが、私がいままで周りから受けてきた扱いそのもの。
敵だらけの中で、相手を敵視してばかりの人生。
心を開くとか人を愛すとか、そういう感性とほど遠いところに私は生息している。

唯一敵じゃ無かったのが犬。
彼らは私を潰しにかかってこない。
嫌なときはイヤと意思表示するけど、私をどうこうしようとはしない。
人間だけだと思います。むやみに人を批判することで精神的支配下におこうと画策するの。

欠点を見るクセのついた私が、私を批判する。
ただ息をしているだけで、自分の精気をを自分で吸い取る。
そりゃ、生きるの辛いはずです。
敵という考えをどう捨てて、別の考えを手に入れようか。

カウンセリングを受けた後、高揚感や安堵感に満たされるのは、そこでやっと敵じゃない人に出会えたからだと思う。
私のことを真剣に見てくれ、私の考えを何よりも尊重してくれる場に身を置けたからだと思う。
それほどに現実の世の中は、敵だらけで、だから自分だけは自分を認めてかなきゃね。
そうじゃないと、24時間自分をぶっつぶしの刑に処することになる。

あと、たまにいい人が私のこと褒めてくれるんだけど、その言葉って全然自分に入っていかない。
褒めるのは、認めるとちぃと違う。
自己否定している私に「そんなことないよ。貴方ちゃんとしているもん」というのは、なんの意味も持たない虚無な言葉の羅列。
ウィルス感染している人にバンドエイドを貼っても意味ない。そんな感じ。