誘う方は気にしていなくても誘われなかった方は気にする

いつもよく話をしていたグループでお茶会をしたみたい。私だけ誘われなかった(涙)。
と落ち込むことがあります。

でもそういうときに限って、その場に偶然私がいなかっただけ・・・なんてこともあります。
要はタイミングの問題。
にもかかわらず、誘われなかった方は数日悶々とする。
誘わなかった方は、そんなこと気にもかけていません。

ここに人が自分が重要視されることには大変重きを置いているのに、他人を重要視することは気にも留めていない思考の偏中を見て取れます。


どんな人間も自分がかわいいし、自分が重要視されるべきと思ってます。
一度軽視されることに出くわすと、途端に「自分の重要性ってなんだろう?」とアイデンティティが揺らぐ。脆い存在です。

この偏りって、思ったより自分の人生に影響をもたらします。
例えば、自信がないという人は、過去に重要視される機会が少なく、弱いアイデンティティのまま育った人です。
自信なんて、本当は根拠が要らないのです。
自信の幻想を作り上げられないのは、自分の存在が周りによって重視されないことで、自分をよく理解しない状態になっているから。
テストで100点を取れば、事実が自分の凄さを証明してはくれますが、お母さんが「あんたなんていない方がよかった」言えば、途端にその事実はかすみます。
お母さんに重要視されることの方が、圧倒的に自分を肯定できるのです。
ちなみにお母さんは、こんな言葉を言ってしまった・・・と数日落ち込んだりアイデンティティが揺らぐということはありません。

重要視の欠落は、自信がつかないだけでなく、自分の存在理由でさえも危うくします。
ですから、なるだけ相手を重要視しているよという信号を出すことです。
そうすれば、相手は必然的に自分を重要視しはじめます。
なんといっても、自分は相手にとってかけがえのない”我を重要視してくれる人物”なのですから。