懐の深い人に憧れたことはないだろうか。
どんなピンチにも焦ることなく立ち向かい、余裕をもって振る舞うその様は、同じ人間とは思えぬ離れ業。
どうしてあんなにゆったりといられるのか?
笑いにも変えられてしまうのか?
それが知りたくて、「懐の深さ」について考えてみることにした。
社長の放った驚愕の一言
このように考えるきっかけを与えてくれたのは、とある記事を目にしたからだった。
ある技術者が、最先端の製造装置を導入すれば生産性が30%アップするという提案をしました。彼はそのこともあり、社長以下重役がずらりと居並ぶ経営会議で、つい「これを導入しないのはバカではないか」といってしまったのです。
「しまった!」と引っ込めても後の祭り。会議室は一瞬にして凍りつき、重役たちは怒りに震える表情です。彼は「ああ、俺は地方支社へ左遷だな……」と観念したのだそうが、それを救ったのは社長のこんな一言でした。
「○○くん、君は今、我が社の重要機密を漏らしたね」
これで会議室は大爆笑。それまで苦虫を噛み潰したような顔をしていた重役も、涙を流して笑い、もはやどこかへ飛んでしまったのです。もちろん、彼の提案も採用されたそうです。引用 AllAbout 金持ち体質はユーモアを忘れない 午堂 登紀雄
驚いた。こんな張り詰めた空気がたった一言で激変することに。
言葉には空気をひっくり返すこんな力があるのかと知ったとき、私の中で俄然「懐を深くする方法」への興味が湧いた。
懐の深さの研究
考えてみたら、我々は懐の深い人になりたいと願いながらも、その方法を研究しようとはしない。
ならばここでイッチョ、考えてみようではないか。
まずは先例の社長の特徴を抽出してみる。
- 相手の無礼を受け止めている
- 相手の言葉によって自分が脅かされない
- むしろ相手の無礼をとっかかりに、話を面白い方向へと転換している
この特徴をもつ人は、「この人ならどんなことも受け止めてくれる寛容さがある」と思われ、親しみと尊敬の念を抱かれる。
そんな気持ちにさせてくれる人物は、今の時代、稀だ。
だからこそ、一歩でも近づく価値がある。
一体どうやったら「受け止められる力」が身につくのであろうか。
人に自分を委ねない
人に評価されることで自信をつけようとすると、どうしても他人の言葉に目が行く。
とくにちょっとした批判に敏感になる。ささいなそれが、まるで全人格を否定してきたかのように感じられる。
すると頭に血が上る。
「許せない」という思いに支配される。
これでは懐の浅い人になる。
ならばこの反対、すなわち人の評価など気にせずに自分の考えを支持できればよいのか。
たしかに、他人の言葉はさほど気にならないだろう。ちょっとした批判は、自分刷新の機会だと思えるだろう。もちろん批判ごときで人格が揺らぐことなんてない。
だから頭に血が上らない。
特別強い思いに支配されることもない。
なるほど、これなら懐が深い人といえそうだ。
つまり自分を自分で評価する習慣のある人が、「受け止められる力」を持つということになる。
懐の深さを手に入れるためには
その「受け止められる力」のある人は、相手の考えを安易に取り入れたりしない。むしろ自分は自分、あなたはあなたと明確に分けている。
こういうと、「あなたはあなたで御勝手に」と突き放した印象を持つかもしれない。
しかし実際は、「あなたにはあなたの事情があるのね」と相手を勘案することなので、迎え入れてると言える。
人をコントロールしようとせず、人にコントロールされることもなく、ただ相手は相手だと割り切り、相手の言葉の中に相手ゆえの真実を見つける。
その切り分けができるとき、我々は迎合とは違う、本当の意味での懐の深さを手に入れることができる。