愛せず、おもねる

私の母親は私を愛したことがないと思う。
彼女(母親)は、私に(子供)愛されたかった、生きる意味を感じたかった、だから私におもねり、私を世話した。

未熟な女性にとって、我が子ほどアイデンティティを与えてくれる存在はない。

なにせ母親がいなければ、赤子は今日を生きることさえも出来ないのだから。
ある意味、絶対に崩れることのない関係みたいなもん。
子が小さければ小さいほど、母親が裏切られる率は限りなくゼロに近い。

私は母を信頼出来ると感じたことがない。
ただ・・・、彼女がいないと生きていくことが出来ない、そういうしがみつき感が沸くように演出されていた気がする。
表面的信頼感とでも言おうか、そういうものはあった。

愛されない私は、私が私でイイという自信が持てず、ちょっと成績が悪かったり、友達から冷たくされると、途端に奈落の底に落ちてしまうを繰り返していた。
過去の消えてしまおうとした行為は、まさにそういう背景の元で起こっていたのだと思う。

私が彼女に会うとき、なんとなく胸が締め付けられ、足には楔が打たれたような感じがする。
地獄の底から、「ほらぁ~、私がいないとアンタ生きられないでしょ~」と気持ち悪く耳打ちされるような。

彼女はとにもかくにも自分の存在を確たるものにするために、使えるものはみんな使えと、大事な我が子のアイデンティティを奪ってしまった。

その責任を取らなくてはいけない。
だから彼女には娘と楽しく暮らす老後はない。
少なくとも長女(私)とのそんな時間はない。
自分で撒いた種だ。

昔、彼女は言っていた。
「親が年を取っても面倒もみない、老人ホームにも顔を見せない薄情な子供がいるんだってさ」

まさか自分のことだとは思ってもいなかったろうに。
結局子供に与えるのではなく吸い取ろうとする人間は、どれだけ世話をしても感謝さえもされず生涯を終えるのである。