「私って○○な人なの」という人の心の内

自己像のない人が評価を求めるで自分の像を持たない人のケースを書いたが、一見すると反対の「私って○○な人なの」という強く自己像を持ったケースはどうだろう?

このような人々は疎ましくないだろうか。

私は疎ましく思う。

なぜなら、私の○○なところを認めてね♪という押しつけが存在するから。
そしてそもそも確信があれば、わざわざ口に出すことはない。
例えば、人は全員自分を人間だと強く信じているから、「私って人間という種族なの」と確認したり、押しつけたりはしない。

強気に見えて、実はとても弱気。見せかけの自己像を持っているだけ。

能ある鷹は爪を隠す
弱い犬ほどよく吠える

自分を持ち、本当に落ち着いた人というのは、大地に根を張り、どっしりとした威厳を持つものです。
そういう人は見ていて落ち着くし、好感が持てる。