好かれることをそんなに望む?

-愛すより、愛される方が幸せ-
-相手が猛プッシュしてきたので、ほだされてつきあうことに-

というように、「求められる」ことを重視する人が多い気がします。
確かに相手が求めてきたという手前、自分の方が優位に立てる気がするし、それだけ自分に価値があるのだと鼻高々になる部分はあります。

でも、そこまで「求められる」ことに重きを置いてしまう自分の心の安定感ってどうなんでしょう?


自分という軸がしっかりしている人は、求められる自分であろうと無かろうと、そう「自分」というものは変質しません。
自分が認めているのだから、それ以上に認められる必要性を感じていないのです。
ところが、自分を認めることの出来ない人は、自分の外に認めてくれる誰かを必要とします。
外の世界に認められることで、「自分」を保てるのです。

外の世界に認められることを求める人は、相手によって自分を保てているわけですから、その相手が自分を認めなくなると途端に「自分」の足下が揺らぎます。
その揺らぎが恋人が別れ話を切り出すと半狂乱になって暴れたり、手っ取り早く身体の関係を持って新しい恋人を見つけたり、という行動に結びつくのです。

二人が上手くいっている間は、たとえ自分の外に「自分の証」があってもいいんです。
しかし、冷静に考えれば変化のない関係性などないことは明白です。
だからこそ、恋人がいてもいなくても、人生の早い段階で自分の足下に「自分の証」をたぐり寄せることです。
自分の証明を自分でできるようになることです。

素敵なカップルというのは、互いが自立しながら尊重している人たちです。
片方が異常に好きで、もう片方は愛されることに泥酔しているというのは、永続的な安定性を保つことが難しい。
一見上手くいっているカップルが何年後かに離婚という結末を迎えるのは、自立していなかった二人が迎える必然的な結果だったに過ぎません。