繊細さとはなんなのか

私は自分に都合良く「繊細」な人間だ。

「繊細」なんていうと酷く響きがよいが、本当にそうだろうか?

繊細というのは、あることに対して細かく良い・悪いが別れている状態だ。

そして悪いはどこまでいっても悪く、良いことや認めらることには変質しない。
ということは、究極の二元論で生きており、悪いと決めつけたことに対して、なんらカムバックの要素がないという冷たい考え方なのだ。

繊細な人間は、一寸したことで身体症状に表れやすい。
手に汗握る・脇汗をかく・手が冷たくなる などなど。
それ自体は特に問題ないが、心の反映としての身体症状だということを鑑みると、目の前の状況に振り回されやすいとも言える。
ってことは、自分基準で動くよりもむしろ周囲の環境に振り回されやすく、心落ち着いた生活は送れそうにない。

心が冷たくて振り回されやすい性質って、いい性格か?
私は好ましくない性格に思うなぁ。

物事をじっくり考察することや、細かく分類することで新たな知見に出会うことが繊細のなせる技ならば、喜ばしいことではあるが、それは対象に対する姿勢であって、性格とはまた違うと思う。
姿勢と性格を混同すると、繊細な人はいい人みたいに勘違いされる。

私の中では、大ざっぱな性格と繊細な性格は全く同じ意味だ。
どちらも、「考える」ということに対して慎重さと中立性がない。
大ざっぱは考えない。繊細は二元論に囚われすぎ。
考えるというのはもっと多次元で、可能性を含めた広がりのある世界なのだから、そこには忍耐と熟慮が必要とされる。
その場合は、どっちに傾いた性格も不向きだ。
考えるとはただただ厳格、それだけ。