変わってるね

私も今まで何気なく使っていたし、言われたことのある言葉「変わってるね」。
改めて考えると、排他性のある言葉だなぁと感じた。
変わってるねとは、私の想像の外にあり且つ共感できないと言っているに等しい。
人は自分独自の考えをもつのが当たり前なのだから、変わっているも標準も
ない。
そういった二元論で判断することの方が、思考が狭く愚かである。

さらに「変わってるね」と言われて喜ぶ人は少ない。

それは相容れないことを全面に出した言葉として使われることが多いからだ。
芸術作品に向かって言うならばまだしも、人の趣味や嗜好、思想に対して言うのは
どうも否定的ニュアンスが強い。

マジョリティに近づこうと努力する人は多い。
性的マジョリティ、金銭的マジョリティ、美的(容姿)マジョリティ。
だから流行のファッションに身を包み、平均的な年収や地位、恋人の有無を目指す。
けど・・・なんでもマジョリティに合わせられるわけではない。
やはり自分らしい個性が表れる。それを規格外とばかりに「変わってるね」と
言われたら気分が悪くないだろうか。
「変わってるね」の代わりに「○○らしくて、ステキだね」と言われた方がいい気分で
いられる。

排他性のある会話は、裏で他者を蹴落とすことにより自己の相対位置を上げる
メリットがあるため、誰でも心理的にしやすい。
でもそこで、相手を相手らしくありのまま受け取れる自分でいられる一寸した
気遣いをするだけで、場の雰囲気はよくなる。
ほんの少し留まって考えてみてくださいな。