どんなお母さんだったら幸せだったかな?

ずっと自分に「ダメ」とか「失敗するよ」というレッテルを貼っていた母の存在が頭の中で薄れつつあります。

思い返してみると、学生の時に泊まり込みでバイトをしたかったけど、”朝早いと体調不良になるかな”とか”雪国はあわないかも・・・”という不安ばかり広がって、せっかくのチャンスを見逃してました。

飛び降りブランコがしたかったけど、”落ちて怪我したら怒られるかな”という懸念ばかり広がって、子供らしく遊べませんでした。

小学生の時に食器洗いで怒られた体験が、後々[自分がなにかをやると上手くいかない]という刷り込みになったのです。

でももしお母さんが本当に優しくていつも包んでくれて、いつも味方でいてくれたなら、どれだけ安心して世界に心を開き、夜になればお母さんの懐に帰ってこられたのだろうか?と考えてしまうこともあります。

むしろ、そう考えてみることが今の自分にとても大切なこと何じゃないかと思うのです。

やっとほんのり自分を縛っていた枷が取れ始めた気がします。
やさしいお母さんを想像すると、今まで自分が自らを含む人間に厳しくしてきた必要性がないんじゃないの?と思えるようになりました。
あれだけ無理に自分を褒めたり、認めたりしていたけど、それさえも、ふぅわ~っと自分を包むみたいに質が変わってきている。
頭という意志(褒めようとすること)が働かなくても、自分を認められる感じが出てきている気がします。

文章にするととても難しくお伝えしにくいのですが、何かが変わってきているのは事実です。
それは今までと異なり、自然に変わってきている。
「然り」に近いです。

実際の母親はもうどうすることもできないし、口を出すことでもないかと諦めています。
想像のお母さんだけ、私を優しく迎えてくれればいい。
エリクソンがやった、エリクの親になるというのは、こういうことだったのかな?と思います。