もらえないことを恨むのは悪いことじゃない!

私は誕生日祝いをあげたのに、相手はくれない。
結婚祝いをしたのに、相手からはなにもない。

そんなとき、裏切られたという気持ちと、損したという気持ちが渦巻きます。
でもそれを誰かに相談すると、「心が狭いよ。贈り物は相手が喜んでくれたらそれで終わり。」と批難されます。
だから無理矢理自分の心を抑えて、「心が狭くなんてないもんっ!」とやせ我慢するのです。

では抑制された心は何処へ行くのでしょう?

結局ずっと底に溜まったままです。
あのときお返ししてくれなかった、私のことを大切にしなかったという気持ちは生涯消えません。
ですから、無理になかったことにするよりも、あったことにした方が自然なのです。

自分は聖人君子ですか?
差し上げるだけで幸せを感じられる「徳」の高い人ですか?
おそらく欲にまみれた凡人です。
無償の愛を提供できる人ではないはずです。

提供できないからこそ、礼儀を重んじるという文化があるんです。
無償の愛が存在できない範囲において、交流をスムースにするための処世術としての文化。
つまり礼儀としてお返しがあるのは当然であり、それをしないということはお相手がものすごく礼儀知らずなだけなのです。

ならば、自分の主張をしてみるというのも一つ手ではないでしょうか?
相手は礼儀知らずなのですから、こちらが礼儀を主張したとして何が問題でしょう?
私は自分の「嫌だ」とか「損した」という感情を押し隠してエレガントに生きることだけが正解ではないと思います。
自分が抱く負の感情も出して、それも自分、でいいじゃないですか。

昔は礼儀知らずは村八分としてたたき出されるので、皆礼儀を守っていました。
しかし最近はコミュニティも多様化しており、個々の独立も進んでいるので、村八分という制裁を受けることはなくなりました。
だったらなおさら、礼儀知らずは「礼儀知らずだよ」と言われなくては、行動を改めることができないのです。

言葉にして壊れてしまうようならそれまでの関係です。
相手を否定せず、行動の問題を指摘することを心がけ、礼儀を通すようにしっかり主張しましょう。