愛着が作り出すもの

岡田尊司氏の定義する愛着とは”人間が幸福に生きていくうえで、もっとも大切なもの”としている。
さらには”人と人との絆を結ぶ能力であり、人格のもっとも土台の部分を形造っている。”とも。

改めてそれを胸の内に刻みながら我を振り返ったとき、ある自分の傾向がひっかかる。

私は18で親元を離れてから一度も美しい衣服を着た記念写真を撮ったり自分が脚光を浴びる記念式典に出たことがないということ。

なんとなく自分がそのように注目されるに相応しい人間に思えず、「誰も私なんかみないし・・・」と後ろ向きでいたように思う。

そもそも何の疑いもなく、自分が脚光を浴びると信じている人が不思議である。
素のままでそんなに自分に価値があると信じられる自信に驚愕だ。

それほどに私は自分の容姿や能力に否定感を持ち続けてきた。

人間は自分一人で、「こうだ!」と思ってもそれを周りに承認されないと自信がもてない。
小さい頃から、親に「○○ができない」とか「オマエは平安美人でブサイクだ」と言われ続けた私にとって、承認などという経験は雲の上の体験に等しく、皆無であった。
だから必然的に「私はしょうもない人間、価値のない人間」と思ってしまい、前に出ること脚光を浴びることを極端に嫌うようになった。

しみじみと”嗚呼、私の心には愛着が育たなかったんだなぁ(ため息)”と思う。

つまりこのまま突っ走れば、私は幸福になれないことになり、人と人との絆に入れないということになる。
これは是非とも改善せねばのぅ~。

私が「おかーさん、助けて」といったら、母がにっこり微笑んで「大丈夫、助けちゃるき!」と言ってくれる体験、失敗しても「お母さんは、KOMAちゃんが頑張ってたん、見取ったけーね」と励ましてくれる体験、どうにかして手に入れたいものよ。

「心の流れ」を通して褒めてもらう体験、認めてもらう体験をしているハズなのに、それだけではやっぱり自分を肯定できない。
自分が愛着を持てる相手に承認してもらうことが、愛着障害を克服する上で欠かせないのだと思います。

夫がKEYになりそうですが、ヤツにはそんな芸当できるんかぃと疑問です。
やるだけやってみますか。