自分の方ばかり向いていると、いづれ人付き合いは終わる

私からは誘うのに、相手からは誘われない。
この悩みはなぜ悩みとして、有り続けるのでしょう?

自分から誘うことに不満を抱かなければ、悩みとして継続しない

相手から誘われない憐憫さに囚われなければ、気にもかからない
特定の相手に執着しなければ、誘われないことが返事だと諦めがつく

結局のところ、特定の相手に自分の方を向いて欲しい・同じくらい愛情を掛けて欲しいと望むからややっこしいことになるのです。
つまり、(精神医学的にいう)愛着を形成しつつある状態が、確固とした愛着として定着できないから、悩みが続くのです。

期待薄な愛着にこだわる人というのは、おそらく母親との愛着形成が不完全です。
願っても叶わなかった親との愛着を成人した今でも追い求めている。

「おかーさーん、ボクを見て!」と。

興味深いことに愛着不足の人間が執着する相手もまた愛着不足のことが多いのです。
そして、片側が愛着を猛烈に求めるプラスに表出しているならば、お相手側は愛着が得られるか不安に囚われているマイナスの組み合わせになっている。

ある意味、凸と凹が合っているんです。しかし、相手から与えられることを望んでも、成就することはないでしょう。

それならば、と、与えるのが得意な相手を選べばいいじゃないか!と思うかもしれません。
ところが、与える側は人気者なので、一人に十分なほどの気持ちは掛けてくれない。
せっかく出逢っても、あっという間に遠いところへいってしまいます。

だから自分を変える。
人から愛されることを期待しない、愛されたいと期待する人とはつながらない。
不足している愛着は自分で充填し、望みも持たずに人を見ることのできるようになったら、以前とは違うタイプの人が集まってきます。

互いに愛されたいと期待する関係は、愛されるためのエネルギーをムダに消費するので、いづれ関係は終焉を迎えます。

自分がなぜ、そこまで他人に誘われたいという思いに駆られるのか?
その解を見つけたとき、誘われないという悩みは一段階上のステージに上がるでしょう。